「挑戦するから笑顔になれる」

先日、非営利活動法人FC伊勢志摩の理事長に就任した。「これまでの道のりを無駄にはできない、成功させなければ」と身の引き締まる思いである。

これまでの4年間でチームは、県2部(1位)、県1部(2位)、東海2部(2位)、東海1部(4位)と着実に上位のリーグへ昇格を果たしてきた。また、昨年度は全国社会人選手権初出場も果たし、1試合につき最高で約1000人(ホーム7試合平均で533人)の方に試合観戦に来ていただけるようになり、チームの支援企業は約100社にまで増加した。

さらに、サッカーを通じたスポーツの振興および青少年・少女の健全育成に努めたいとの思いから、サッカー教室の開催や地元のお祭りなども含め年間40回ほどのイベントに参加させていただいている。

手前みそにはなってしまうが、これらの成果は三重県南勢地域から参戦した社会人サッカーチームとしては前例のない優れた成果だと自負している。これは選手、スタッフの努力はもちろんだが、なにより西尾前理事長をはじめ、他6名の前理事の方々およびその周辺の方々のご理解とご尽力により成し遂げられた奇跡の成果だと私は考えている。

なぜなら、通常、基盤となる後ろ盾(資本)がなければ人は動かず、物事は進まない。しかし、このFC伊勢志摩の物語は後ろ盾がないままスタートした。いわゆる見切り発車である。先立つ根拠・後ろ盾(資本)がないと誰もが見向きもしない中、「やれるかどうか、やってみないと問題点も課題も分からない。やりながら解決策を見つける、この地域でもやれることを証明したい」といった有志者の一言から今に至っている。これだけでも、現在の世の中では奇跡的といっていいのではないか。

しかし、この活動をスタートして4年がたつが、未だに誤解を受けていると感じることもある。「Jリーグなんて無理だろう」「あいつは自分のため、お金のためにやっている」「あいつは口だけだ」。そんな言葉を聞くたびに理解されないもどかしさを痛感する。

私がこれまで経験してきたサッカー環境とはあまりにもかけ離れた現状や価値観の違いに打ちのめされそうな時もあった。そんな気持ちの支えとなったのが妻と前理事の方々だった。厳しい意見も頂いた。そこにはいつも温かい激励のメッセージが込められていたと思っている。

昨年度のシーズンは過渡期となった。結果を出せば出すほど遠征費が増え、その遠征費を集めるのに翻弄(ほんろう)されることもあった。時として、理事と監督と選手各々の負担が大きくなり同じ方向を向いていないと感じたことも事実である。志摩だけでこれだけのことができたという満足感もあるが、現在の体制ではこれが限界ということも体感し話し合いの結果、新体制へと移行する運びとなったのである。

このプロジェクトが成功したといえるためには、FC伊勢志摩が地域や世代や業種を超えて応援される存在にならなければならない。そのためには私のようなよそ者が先頭に立った方がよい面もあるのではないか。そのような思いを胸に、応援してくれる支援者の方々や子どもたちの期待に応えられるよう、これからも自分自身を高め、クラブをさらなる高みに押し上げていきたい所存だ。

最後に、これからのチームの指針について誤解を恐れずにお伝えしたい。①志摩の有志から始まった愛情深い思いを三重県中南勢地域全体へ広げ、関わる全ての人が誇れるクラブになること。②ホーム試合の平均観客動員数が2000人を超えることを目指し、その人たちを笑顔にすること。③子供たちの憧れとなり地域の人たちの希望となること。④この地域から一度出て行った人にとって帰ってくる場所となり、雇用の受け皿になること。

これらは途方もなく高い目標ではあるが、目標の実現過程で培われる精神・技術・コミュニケーション能力の進化のモデルを、後世に残すことが主な目的となっている。未知のモノに挑戦しできない、超えられないと考えられていた壁を超えた時の安堵(あんど)の笑顔が、人を育て地域社会を発達させる。それこそがスポーツ・サッカーがもたらす価値の一つであるはずだ。

中田一三
中田一三

なかたいちぞう 1973年4月生まれ。伊賀市出身。四日市中央工業高時代に、全国高校サッカー選手権大会に3年連続出場。92年1月の大会では同校初優勝をもたらし、優秀選手に選ばれた。中西永輔、小倉隆史両氏と並び「四中工の三羽烏」と称された。プロサッカー選手として通算194試合に出場。現在三重県国体成年男子サッカー監督。