2025年3月4日(火)

▼報道機関は頻繁に取材する先に拠点「記者クラブ」を作り、各機関共同で取材する。第1回帝国議会が開かれた明治23年(1890)、単独では相手にされなかったのを集団の力で突破しようとしたのが始まりとされる。競争相手が手を組むため、輪を乱した場合は理由を問わず制裁が課せられた

▼県庁の記者クラブに所属していた時、全国紙が制裁基準に触れて数日間出入り禁止になったことがある。期間中に政党の選挙向け会見が予定され、例外的に出席させてほしいとの申し入れがあり、幹事が所属記者らの意向を聴取したので了解したが、結果は多数決で却下された

▼それから数カ月後、弊社が制裁対象となり、軽微な事案なので楽観していたら重い罰則が適用された。先の全国紙記者が強硬に主張した結果というので意外な気がした。申し入れの賛否意見が誤って伝えられたか、それとも―

▼戦後の戦犯追放者を判断する組織で大いに弁じた相手に、後にある陳情で出向くと門前払い同然の扱いを受けたという話がある。負い目を感じるのが嫌で、過剰に反発したらしいというのだ。和平交渉を巡るウクライナのゼレンスキー大統領とトランプ米大統領との会談で、記者団の前で激しく口論して決裂した。トランプ氏は顔を赤らめ「(米国に)もっと感謝すべきだ」

▼ゼレンスキー氏も「(一期目のトランプ政権は)プーチン露大統領を止められなかった」。どちらの言い分も根拠はあるだろう。そのことをともに痛感するだけに過剰な反論に出てしまったのかもしれない。