2023年12月20日(水)

▼生来の筆無精で年賀状もほとんど書いたことがない。無精は筆だけかいとどこやらから声が聞こえそうでじんわり汗のにじむ思いだが、ふるさとを出て半世紀、欠かさず賀状交換する友人が1人いる

▼賀状はコンビニやスーパーで買う。「謹賀新年」など、定型文が印刷されていて便利だが、近年はちょっとしたあいさつ文も印刷されてメインの場所を侵食している。干支(えと)をはじめ羽子板など縁起物の絵も並ぶ。便りを伝える空きがない

▼このところ手書きの機会はほとんどなくなった。かつて同業者や年配の人に、独特の崩し方をする人が多かった。接した中でもっとも難解だったのが作詞家、小説家の川内康範だった。間違いなく読めて編集者として半人前などと言われたが、名士であり、強面でもあったので校正は必死だった。存命ならパソコンを用いて編集者泣かせを返上しているか、記号を殴り書きしたような手書き原稿を使い続けているか

▼一時セミナー業をしていたが、そこの代表はタイプ印刷した定型文があるのに講師への礼状は手書きを指示された。乱筆でもあるので閉口した。タイプの文では失礼に当たるというのだ。乱筆ではもっと失礼ではないかと心中思った

▼年賀状の狭い場所に手書きで書くのもなかなか骨が折れて何回か書き直す。今では年に一度、無心に一年を振り返る機会にもなっているが、賀状の往復が今年は途絶えた。何があったのか、あれこれ考えた一年であった

▼今年はどうなるか。返事がこなくても、電話やメールで問い合わすことはしない。何があったか。一年また考える。