2022年9月30日(金)

▼一見勝之知事にいつもの自身の出自に関する断りがなかったのは惜しい。県議会での答弁だ。「私は亀山の出身。すなわち〝北〟の人間として」の前置きで「県に南北格差はないと思っている」と言ったら賛否はともかく、大方は何となく納得したのではないか

▼県政は「北主南従」、すなわち北を主体に回っている、いや、県予算は「南主北従」、北で稼いだ金を南に注がれている、というのは昔からの決まり文句。県政史上、最もよく現われたのは平成七年知事選挙だった。北川正恭候補が終盤の決起大会で、出馬の決意は四日市市長からのこのような要請だと語った

▼「北川さん、田川県政亜流の人では北がつぶれてしまいます。三重県を救ってください」。「義を見てせざるは勇なきなり」と続けて会場を沸かすのだが、開票結果はこのことを明確にした。開票が早い南勢は対立候補の前副知事が次々圧勝。中勢も勢いを維持し、最後の四日市、鈴鹿両市の大量得票で1万票の僅差で逆転した。前副知事の出身地亀山市でもほとんど差がない

▼県を二分する知事選は、その後ない。県民意識を知る直近の選挙は、明らかに南と北で差が、対立感情があることを示した。北川知事(当時)が南勢視察に力を入れたのは、そんなしこりの解消も狙いだったと言われた

▼南主北従か北主南従かは、見方によって、データの取り方によって違いがあるに違いない。一見知事の「南北格差はない」も、何らかの根拠はあるのだろうか。単にそう思っているというなら自由ではあるが、県政にワンフレーズ・ポリティクスはご免だ。