2022年6月19日(日)

▼賛成・反対で県を二分した三重県の南島町(現南伊勢町)と紀勢町(現大紀町)にまたがる芦浜地区への原子力発電所建設計画で、昭和47年に登場した田川亮三知事が建設の前提として掲げたのが電源開発4原則3条件だった

▼今も時折、県民の声や知事会見で、再誘致などへの考え方が問われると、知事らは4原則3条件の存在を強調する。その内容は県のホームページなどからほとんど姿を消しているのは、いつものことと笑わせられる

▼4条件の一つ「地域住民の同意と協力が得られる」が計画の大きな壁となったが、行政として進めにくかったのは、3条件のうちの「国の責任」「安全確保と責任」。安全確保に国が責任を持つことと解釈され、首相の神宮参拝での年頭会見では、地元記者団から毎回、質問が出された

▼「首相、安全責任に踏み込む」「安全保証」などの記事を何度書いたことか。が「事実上」の言葉を抜きにできなかった。田村元氏が通産相(当時)に入閣した昭和61年のお国入り会見は県も大いに注目したが、被爆者手帳を持ち、原発に距離を置く田村氏に期待に応える発言はなかった

▼東電原発事故で国策としての原発の位置づけは大きく変わった。国の追随一色だった裁判所も大いに反省させられたとされるが、最高裁は国の賠償責任を認めない初の判決を下した。国が指導しても、どうせ事故は防げなかったなど、責務と賠償を切り離したかのような論理構成は、ああいえばこういうに似る

▼国の言質を引き出そうと奔走して果たせなかった昔日の国のしたたかさ、徒労感をふと思い出す。