2022年2月16日(水)

▼県新年度当初予算案を一見勝之知事は「ふるさと三重前進予算」と命名し「日本や世界で輝いてほしいとの思いを込めた」。堅実で華々しさがないというのが本紙評だが、「前進」は「一歩」なんてもんじゃないよということだろう

▼「ふるさと」の言葉を入れたのは家系や郷里での位置づけにこだわりがありそうな知事らしい。このところあまり聞かなくなった言葉の気がするが、東京赴任中は県人会で頻繁に語られていたのを思い出す。「ふるさとは遠きにありて思うもの」か

▼室生犀星のこの望郷の詩は、遠くからではなく、故郷金沢で詠んだ。「ああ、遠くで思っているものだった」と嘆いているのである。ふるさとを思って涙ぐんでいた東京の地へ戻ろう、と言っている。〝錦を飾った〟知事にはむろん無縁の話だろう

▼どう日本や世界で輝くかは予算案を見ても分からぬが、分かるのは「財政課の復権」だろう。かつて財政課に呼び出されたら、各部門はどんなに重要な仕事の途中でも放って駆け参じなければならないというのが不文律。課長補佐級が部長をやり込めた。慣習がいまどうかは知らぬが、緊迫財政に陥ったのは副知事2人が財政の素人だった時

▼きっかけが前知事の毎年の海外視察であることもほぼ定説。大名行列が雄藩の財力を削いだ江戸時代をほうふつさせた。高額なAI採用への財政担当副知事の懸念が退けられもした

▼これからは「身の丈に合わせた予算」つまり「財政論予算」ということ。でなければ「逆に県民の負託に応えられない」と知事。「前進」の趣旨とは、少し違う気もする。