2021年12月25日(土)

▼三重とこわか国体・同大会の延期開催断念に、競技団体から「結論ありき」の声があがったと報じられたが、本紙『一年を振り返って』は「年内中止以上に関係者を落胆させた」とあるだけで、県スポーツ協会が3巡目を待たない早期の次期開催を一見勝之知事に要望する段階に入ったことを伝える。「挫折を乗り越え、新たな一歩を踏み出したアスリートたち」と。挫折をバネに―ということだろう

▼延期断念の理由に「会場地再選定が(6年という)限られた時間の中で難しい」という県の説明に、大会準備を始めたのが8年前。2年違いで「限られた時間」になるのかねえ、という見方はしないに違いない。市町に抵抗があったともいう。緊急事態に際しての県と市町の信頼関係に思いを巡らせることもあるまい

▼ノルディックスキーの全日本選手権距離で、総合2位に入って北京冬季五輪代表を確実にした児玉美希選手が県スポーツ協会所属なのは、昨年の国体冬季大会でも優勝し、ご存じの向きも多いか。12日の全日本空手道選手権大会の男子組み手個人戦で、準々決勝を圧勝し、準決勝も前半大きくリードした中野大輝選手が三重県スポーツ協会所属と紹介されたことに驚いたのは筆者だけか

▼昭和50年の三重国体は有望選手を県と教職員に大量採用し、長く後遺症が残った。今回は企業に採用を働き掛けてその数189人。スポ協などは別枠なのだろう。新人台頭が著しいスポーツ界でなるほど6年は持つまい

▼前回はケチケチ国体で以後のあり方に一石を投じた。今回は史上初の返上県として名を残す。