2021年8月13日(金)

▼県内の新型コロナ感染者が百人を突破した記事と、鈴木英敬知事の辞任の弁が同一紙面に並ぶ異様な事態。四日市公害の処理のさなかに国政転出した田中覚元知事のころもかくやと思わせる。知事は「コロナ禍だからこそ地域に尽くして」の声に「悩みに悩んで葛藤した末」

▼コロナ禍でなければ葛藤もそれほどではなかったということか。「知事個人の欲求」(三谷哲央議員)の指摘は一面の真実であろう。田中元知事の国政転出で統一地方選から離脱した知事選を復帰させたのは田川亮三元知事が自身の辞職の時期を合わせたためだが、20%台に落ち込んだ投票率の回復に、ほかの方法が見い出せなかった末だ

▼結果は、県議選の投票率を引き下げ、回復したかに見えた知事選も漸減に歯止めがかからない。当初予算が骨格になって二重手間の負担が増大した県職員には不評だった。今回の離脱で「民主主義のコストだ」と理解する「ある幹部職員」の言葉に名残が見える

▼「投票率を上げる施策こそ民主主義のコスト」と指摘する職員もいることは救いだが、県単独の施策でどうにかなるものではないことは、経緯が証明している。田川氏以後、投票率に同氏ほど「悩みに悩んだ」知事はなく、県政界はさらに関心が低い

▼「政局より政策」は政権奪取当時の民主党の主張だが、その中心にいた岡田克也衆議院議員が知事選について「現実に戦える候補がいるのかという問題もある」と言うに至って万事休す。県民に多様な選択肢を示せないことが県政離れ、投票率低下の根本原因であることを重く受け止めねばなるまい。