2019年2月27日(水)

▼元参院議員で同四日市市長の井上哲夫氏が四日市公害の原告側代理人の一人であったことを知ったのは平成元年7月、参院選公示1週間前に連合推薦で電撃出馬表明し、そのプロフィルが語られてから。弁護団は東海労働弁護団中心に当初56人。順次拡大した。その一員だったということである

▼県弁護士会会長だったことを知ったのもその時。田村元・元衆院議長が弁護士だった父の門下生の一人で、家に出入りしていたと語っていた。地味で融通無碍な人物像が浮かび上がる

▼そんな井上氏が県議7期を経た農林水産政務次官の現職をあれよあれよという間に大差で打ち破った。リクルート問題や首相の女性問題て政界は揺れ、女性初の公党党首とされた土井たか子社会党委員長が「マドンナ旋風」を起こした選挙である。自民王国と言われた県政界も揺らぎ、連合の〝不敗神話〟が形成されていく

▼「選挙は安泰と言われていたのに、急に極めて厳しいと言われ」と再選を目指した選挙で本人が語っていた。首班指名で社会党委員長名を書かなかったことで労働組合が離れたためだが、何が何だか分からぬ6年間ではなかったか

▼四日市市長選も大方の意表を突く出馬だった。職員の意識改革など、後発の北川県政を臆面なく見本にしたのは政治を学び直そうという決意の表れともみられる

▼鈴鹿市長から大合併を呼びかけられても無理はしなかった。3期12年でよく言えば融通無碍、万事慎重だった。平成30年間で県政界を彩った一人。退任時に功績に財政再建をあげた。気がづかなかったことである。合掌。