2018年5月24日(木)

▼総務省へ帰還する望月達史副知事は平成20年10月の県議会で2年3カ月間の感想を聞かれ、奥の深い歴史や文化を「県の器」として、器からにじみでるものを基本施策につなげることを提言した。多様な県の魅力に引かれた一人だとも

▼当時の野呂昭彦知事の政策はもちろん、人柄にも好感を持っているように見えたが、ある会合で「どう思います。あの知事の神宮礼賛は」とささやかれたことがある。野呂知事は親子二代、神宮尊崇の気持ちが強い。そんな気持ちをあいさつの中で語っていたたさなかの望月副知事のささやきだった。感心しないという表情が読み取れた

▼平成6年の世界祝祭博覧会ももとは藤波孝生元官房長官が提唱した世界宗教博という説がある。政教分離の原則が問われ祝祭博でも引き継がれた。伊勢志摩サミットでも、首脳の神宮訪問に共産党県議団は警鐘を鳴らし、疑問視する国もあって「参拝」の表現は避けられたといわれるが、同じ共産党でも中央の小池晃書記局長は「気にしすぎ」と一蹴した

▼野呂知事の父恭一の著書に参拝した防衛庁(当時)長官に祝詞を手に入れてやる下りがある―「皇學館大出の専門家が書くらしい」。今はどうか。総合計画の教育分野に郷土愛や神宮を加えるのに慎重な伊勢市や市教委が審議会会長に皇學館大教授を据えたのは不思議だが、神宮への思いは時代とともに変わる。市内でも一様ではない。審議会のこだわりはそんな変遷のある種危機感かもしれぬ

▼郷土愛、神宮について多面的に考える機会があるのは地元としていいことだが、むしろ難しいのか。