2018年4月7日(土)

▼元鈴鹿市長の衣斐賢譲氏が正月早々、自殺も疑われる列車事故死した報が流れ平成7年、その3選を阻んだ加藤栄氏が死去した。時世時節である

▼出身労組の現職との不戦方針でぎりぎりで出馬を断念した川岸光男氏の要請が動機とされる。全面支援を約束されての出馬だったが、頼りの衆院議員北川正恭氏が知事選転身を決め、「候補といえども知事を目指す以上、市長選で特定候補を応援するわけにはいかない」という大義名分で支援をやめた

▼大柄な体を生かし、相撲選手として活躍したという。国体の激励に駆けつけての後輩への指導は攻めだったが、内面はむしろ小心ではなかったか。「選挙はこちらが先だ」と、知事選に傾く支持者らにいらだった。怪文書が流れたり、選挙ゴロが出没するたびに弱音をはいた

▼出馬の経緯から市政への経倫がどこまで詰められていたか知らないが、加藤市長といえば四日市市との大合併を目指して足元の反対で断念。亀山市からも袖にされた印象が強い。本紙が業績にあげた庁舎の現地整備も、移転整備を模索した揚げ句の帰結ではなかったか

▼もっとも、取材する側とされる側との関係は市長選当選までで、その後は報道で知るだけ。無責任な臆測で何のオーソリティーもない。衣斐氏との係争で会社の浮沈に立たされていたから、加藤氏の当選でほっとしたことを思い出すだけである

▼北川氏が市長選を離脱する前の応援演説で「衣斐さんによって大きくゆがめられた市政を、加藤さんでまっすぐに直してもらわなければなりません」と言った。できたと信じている。合掌。