2017年7月8日(土)

▼「森友学園」問題で「記録はない」「不当な働きかけはない」と国民の疑問などどこ吹く風の答弁をした財務省理財局長が同省ナンバー2の国税庁長官に就くことで全国紙などが驚いていた

▼本心かどうか。組織への貢献度が人事に反映されるのが、国、地方問わず、役人の世界ではないか。霞が関を取材したのは小さなコンピューター専門紙の記者時代だが、旧大蔵省の、中でもキャリアの鼻持ちならなさといったらなかった

▼伊勢新聞で同省出向の総務部長に数多く接したが、みな腰が低く笑顔を絶やさない。黒田東彦日銀総裁などざっくばらんで、これがあの傲慢な大蔵キャリアと同類かと目を疑ったが、その意表を突く割り切った判断の早さに、感心しながら「県のことは真剣に考えてはいなかったのではないか」と職員が回想していた

▼日教組大会の県内開催が決まった昭和60年、旧自治省出向組の教育長が県文化会館の使用をガンとして拒否した。当時の知事は三教組推薦の田川亮三氏。県幹部らはその意向をそんたくしたが、教育長はひるまない。結局病気療養に追い込んで許可した

▼「庁内に同情の声も」とやや判官びいきの記事を書いて後、病院外を元気に買い物する〝入院中〟の教育長を見舞ったら「あの記事はなあ」と苦情を言われた。「オール県庁相手に一人戦っていると、本省(旧自治省)から『頑張っている』と見られるが、同情されては『ひ弱い』と」

▼出向組がどこを見て仕事をしているのか痛感した。前理財局長も答弁では前の議員もその後ろにいる国民も、見ていなかったに違いない。