海外にも誇れる菓子を サミット向け砂糖細工制作 「夢菓子工房ことよ」社長 岡本伸治さん

「海外にも誇れる日本のスイーツ作りに情熱を燃やしたい」と語る岡本さん=四日市市西日野町で

 昭和23年、和菓子修業をした祖父の故竹治さんが、和菓子だけでなく鮮魚や雑貨も商う「ことよ軒」を四日市市で創業。父二三男さん(68)の代に、和菓子の製造・販売に絞った。平成15年、店名を「夢菓子工房ことよ」と改め、3代目として祖父からの伝統を引き継ぎ、店舗展開などで業績を拡大している。

 1日に2千本を売り上げる「団子のことよ」として、テレビや雑誌でたびたび紹介される1番人気のみたらし団子をはじめ、素材にこだわった季節ごとの和菓子約70種が平台にずらりと並ぶ。桜餅に大粒イチゴを包んだ「いちご桜」、クリやカスタード入りの「どら焼き」など、好みの菓子をかごに入れて会計をしてもらうばら売り方式で、「あれこれ楽しめる」「買いやすい」と、来店者に大好評を得ている。

 四日市市で2人きょうだいの長男として生まれた。幼いころから、祖父母と両親らが工房で忙しく働く姿を見てきた。無口な父が、たまに食べさせてくれた和菓子に「こんなおいしいものを作れるなんてすごい」と思った。小学1年の文集には「夢は和菓子職人になること」とつづっていた。

 四郷小から笹川中に進み、バスケット部で共に汗を流した仲間とは、5年ごとの同窓会を通して今も交流している。四日市商業高では、先輩部員1人だけの剣道部でマンツーマンの練習を楽しんだ。卒業を前に、「店を継がなくてもいい」と言う父に、「職人になる夢をかなえたい」と頼み、豊田市の菓舗「近江屋」で住み込み修業を始めた。

 店主に、和菓子づくりの基礎から指導を受けた。幼いころから祖父や父の仕事を見てきたこともあり、上達は速かった。修業を始めた翌年、東海3県の和菓子職人約100人が腕を競う、年1回の「新年菓子コンテスト」に出品し、最優秀賞に輝いた。6年間の修業中、ほぼ毎年入賞を果たした。

 24歳で実家に戻り、両親を手伝うようになった。平成14年、テレビ番組「TVチャンピオン」の和菓子職人選手権に初出場し、同20年に4回目の挑戦で準優勝を獲得した。その反響で、来店者数が一挙に15倍以上になったという。「再来店をしていただくために、より一層の精進を誓う貴重な体験ができた」と振り返る。

 28歳の時、父から引き継いで3代目となり、「夢菓子工房ことよ」の社名で法人化した。手狭になった店舗を3倍の広さに拡張して新装開店し、翌年には、修業していた近江屋の長女美帆さんを妻に迎えた。

 全国和菓子協会認定の数少ない選和菓子職人として、和菓子文化普及のため、県内外の小・中・高校、大学、専門学校やプロ向けの講座などで指導する傍ら、新商品開発にも力を注いでいる。また、4年に1回開催される「全国菓子大博覧会」で、3回続けて工芸大賞を受賞しており、現在は、伊勢・志摩サミットに向けて、砂糖細工作品を制作中だという。

 三重郡朝日町に新店舗「白梅の丘店」をオープンして2年。「和菓子を通して、お客さまに幸せになっていただく」ことをモットーに、2店舗の従業員40人が心をひとつにして製造と販売に励んでいる。「菓子文化を語れる人材の育成と、海外にも誇れる日本のスイーツ作りに情熱を燃やしたい」と意欲を語った。

略歴:昭和49年生まれ。平成5年県立四日市商業高校卒業。同年菓舗「近江屋」入社。同15年「夢菓子工房ことよ」設立、社長に就任。同年修文大学和菓子科非常勤講師。同23年ユマニテク調理製菓専門学校非常勤講師。同25年岐阜八祥会会長就任。同年選和菓子職認定職人。同27年県菓子工業組合理事就任。