2018年11月8日(木)

▼慶應義塾大学の創始者である福沢諭吉は政府の招きも公費支援も断ったことで知られるが、中津藩当時はいかに藩から金を引き出すかに腐心したかを述懐し反省している。〝公費天国〟は昭和を象徴する言葉でもあった

▼松阪市の集会所改築過大補助金問題を調査する同市議会百条委員会で、証人として呼ばれた当時の自治会長である田中正浩市議が「845万円を超えたら自治会負担になって困る。業者には考えられる高い方で市に申請してくださいと言った」。結果、領収書が2つ存在するまるで森友学園みたいなことになった。経緯もまた、似てくるということだろう

▼事案発生後1年が受理のめどの監査が7年を経て報告されたり、市がただちに返還請求し、議会が取り上げ、前市長時代の議会解散請求(リコール)運動にまつわる恨み節も飛び出す。過大補助金問題は問題として、背後に市政交代に伴うあつれきがうごめいているようだが、公費に対する前近代的感覚が質疑の中で濃厚に浮き出る

▼申請額と実費との差額は「一生懸命自分たちが(電気工事など奉仕作業の形で)手伝ったことで安くなった意識」。自分たちが努力して足りない部分を補助してもらうという意識ではないのだろう。自治会集会所は本来自治会予算でまかなうのか、市が建てるのか―から話をせねば共通の認識に立てない

▼差額は奉仕作業の見返りだからいわば報酬。余ったから返すなどは思いもよらず。「監査委員から指摘を受け、あかんのやと思った」(田中市議)。どんなに激しい政争があるとしても、政争の問題ではない。