-M&Aで実績伸ばす 会社経営と育児を両立- 「宝輪(HOWA)」社長 蕪竹理江さん

【「宝輪で働き、宝輪と仕事をすることで喜んでもらえる会社にしたい」と話す蕪竹さん=津市あのつ台で】

平成21年、28歳の若さで3代目社長に就任した。以来、大胆なM&Aによるガソリンスタンドや自動車整備、リフォーム業界への参入など、独自の経営戦略で実績を伸ばし、就任からわずか6年で売り上げを1・5倍以上に押し上げた。現在、鈴鹿、津、亀山5事業所の従業員180人余りを統括している。

津市で3人きょうだいの次女として生まれた。幼少時はおとなしい性格だったが、小3の頃、明るく活発な友だちができたことをきっかけに少しずつ積極的になり、6年生の時には生徒会副会長を務めた。中学の3年間はバスケットボールに打ち込み、市内の進学校に進んだ。

高校時代、ファストフード店でのアルバイトを体験し、初心者でもできるマニュアル化された仕事、働く楽しさと対価をもらえる喜びを知った。地元大学に進学後も、政治、経済、外交などを学ぶ傍ら、塾講師やショップ店員を掛け持ちし、バイト代で国外にも視野を広めるため友人らと海外を旅した。

大学卒業後は、名古屋市の老舗ガラスメーカー「石塚硝子」に就職し、社長担当秘書と経営企画部員を兼務した。仕事に慣れ、やりがいを感じるようになった頃、父から戻ってくるようにと言われ、3年間勤務した石塚硝子を退社して実家に戻り、宝輪に入社した。

「学生時代は従業員目線でバイト、社会人になってからは秘書として社長のそばで働くことで顧客と社員、取引先の人々の立場になって考える経営者目線でのビジネスを学んだ。双方の立場での経験が現在の仕事に生かされている」と話す。

宝輪入社後は経理部で1年間研修し、翌年からは若手経営者向けのセミナーを受講、3年目からは父に同行して取引企業を回り、商談にも同席するようになった。その仕事ぶりを見てきた父から、後継者に指名された。「祖父から経営を引き継いだ時、父は28歳で今の自分と同じ年齢だった。憧れだった父の期待に応えようと社長就任を決意した」。

役員、社員らを前に「全ての面で未熟な自分を補佐してもらいたい。皆で考え、共に進もう」と話した。決断力に富み、トップダウンで業績を伸ばしてきた父とは真逆な方針でスタートした。「社員1人1人の成長によって組織全体がまとまり、どんなトラブルにも組織力で対応できる会社になってきた」と話す。

夫と長女の3人家族。夫は県外に単身赴任中で、今は長女と2人の生活だ。コロナの影響でなかなか会えない中、テレビ電話で近況を知らせ合う。保育園での出来事や自転車に乗れるようになったことを話す娘に、夫は目を細めている。「近くに住む母の協力で、会社経営と育児を両立できている」と話す。

社員の健康管理のため歩数・血圧・心拍などを計測できるスマートウオッチの配布や、育児支援、介護離職をなくすためのサポートにも力を入れ、平成30年から3年連続で「健康経営優良法人」の認定を受けている。

魚釣りが趣味だった父は55歳で会長に退き、今はお気に入りのクルーザーで週の半分を過ごして人生の第2ステージを謳歌(おうか)している。ほとんど出社しなくなったが、何かあると的確なアドバイスを与えてくれる頼もしい存在だ。

「変化に強い会社でありたいという理念が、今回のコロナで試された」とし、「業績は一部で微減しているが、全体的にはしっかりと維持できている。宝輪で働き、宝輪と仕事をすることで喜んでもらえる会社にしたい」と意欲を語った。

略歴: 昭和55年生まれ。平成15年大学卒業。同年「石塚硝子」入社。同18年「宝輪」入社、同21年に社長就任。令和元年、中経トパーズ賞受賞。