-頼りにされる写真屋に 「最高の笑顔」がご褒美- 「SATOH STUDIO」代表 佐藤賢一さん

【「発表会や修学旅行などのイベント要請に機敏に対応できる頼れる写真屋を目指したい」と話す佐藤さん=四日市市山手町で】

四日市市山手町の写真館「SATOH STUDIO」は、軍隊で記録班に属していた祖父の故茂さんが復員後、昭和22年に同市富田で創業した「佐藤写真館」が前身。2代目の父敏明さん(69)を経て、平成19年に3代目を継承し、今年創業70周年を迎えた。

同市富田で4人兄弟の長男として生まれた。富田小時代は小児ぜんそく改善のため水泳教室に通い、市民水泳大会で入賞するまでになった。富田中、川越高の6年間はバレーボールに打ち込んだ。高2の県大会では、キャプテンとしてベスト8の成績を残した。「共に汗を流した仲間とは、今でも定期的に会って交流を深めている」と話す。

高3の時、幼稚園の運動会を撮影に行く父の仕事を手伝った。駆けっこやお遊技をする園児ら、わが子を応援する保護者らのさまざまな表情の一瞬一瞬を残せる仕事に強く引かれ、家業を継ぐ決意をした。かわいがってくれた祖母はなさん(96)が、何よりのおばあちゃん孝行だと喜んでくれた。

高校卒業後、東京工芸大短期大学部写真技術科に進学。新宿の老舗うどん店に住み込みでアルバイトをしながら、基礎となる写真の現像、修整、課題に沿った撮影までを学んだ。写真の奥深さに一層引き込まれ、一生の仕事にしていこうという思いを新たにした。

短大を修了し、父の知人の紹介で石川県の写真館に就職した。結婚式の前撮り、挙式当日のスナップや記念撮影など、緊張してフィルム交換の時にふたを開けてしまったり、レンズ交換時に落として割ってしまったりと失敗もたくさんあったが、半年ほどで1人での出張撮影にも慣れた。

5年後、一緒に働いていた貴子さんとの結婚を機に退社し、実家に戻った。初宮参りや入園、入学、七五三、成人式などの撮影を2人で手伝うようになった。時には、人見知りの子どもと一緒に遊んだり、どんなおもちゃに興味を示してくれるかを探ったりしながら、諦めず辛抱強くシャッターチャンスを待つ。泣いている顔も記念という両親もおり、大泣きしている赤ちゃんを撮ることもある。

「最高の笑顔」「大変だったけどいい顔で撮ってもらった」などの言葉が、何よりのご褒美。思い出づくりを手伝わせてもらう仕事にやりがいを感じている。「スマホで簡単に撮れる時代になったが、人生の節目の写真はプロにという、親が子にかける思いは昔から変わっていないと思う」と語る。

妻貴子さんと高1の長女、中2の長男、小3の次男、1歳の3男の6人と愛犬ルナのにぎやかな家族。4人の子どもたちそれぞれの成長を捉えた写真が、スタジオのロビーに飾られている。「来館者の撮影や出張撮影など、妻がいないと成り立たない仕事。子育ての傍ら、助手として支えてくれる妻に感謝です」と照れながら話す。

厳しい写真業界にあって、後継者がなく廃業を余儀なくされる写真館も多い。「地域の子どもたちの卒園・卒業アルバムなどの記念写真の撮り手がいなくなった地域に支店を展開して、発表会や修学旅行などのイベント要請に機敏に対応できる頼れる写真屋を目指したい」と意気込みを語った。

略歴: 昭和49年生まれ。平成5年東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。同年金沢写真院入社。同19年サトウスタジオ代表就任。同29年協同組合三重県写真館協会副理事長就任。