-夢実現のお手伝い 最適なライフプランを提案- 「三重お金と住まいの相談室」代表 小林義幸さん

【「顧客の夢の実現に向けて最適のプランを立てるお手伝いをしていきたい」と話す小林さん=四日市市で】

 一生に1度の「マイホーム」を購入する人の予算と要望に沿った家を提案する「三重お金と住まいの相談室」を平成30年、四日市市諏訪栄町に開設した。信用金庫勤務と注文住宅建築会社の営業職を経験して起業した。メーカーを限定せず、ユーザー目線に立って選択肢を広げた提案で北中勢地域を中心に顧客を増やしている。

 在職中、無計画な住宅ローンを組んだ結果、自己破産に陥って家の売却を余儀なくされたり、住宅購入によって生活水準を下げた結果、不満が蓄積されて家族が崩壊してしまったりする不幸な事例を目の当たりにした。そのような悲劇を避け、マイホームをきっかけに家族の絆をより一層深めて幸せに暮らし続けてもらいたいと独立を決意した。

 相談者家族へのヒアリングで年収、家族構成、趣味、現在の家賃と希望する家についてしっかりと把握し、家計の収入と支出の状況を考慮して最適なマイホーム予算を算出する。予算額に従って相談者が家を購入した後の家計がどのように推移していくのかが分かる生活設計書「ライフプラン表」を資料として提供している。「相性や人柄を確認してから依頼を決めたい」という声に応えて、初回の相談は無料としている。

 30代後半で子ども2人の共働き夫婦の相談では、外観や内装、間取りから動きやすいキッチン、明るいリビングと子ども部屋、広い寝室などの要望を取り入れた設計で数社からの見積書を検討した。作成したライフプランを基に住宅に充てられる予算を算出して、銀行ローンの事前審査、本審査に備えた。「的確なアドバイスで不安が解消され、家族皆の希望通りの家ができた」と喜ばれ、やりがいのある仕事だと確信した。

 四日市市で2人きょうだいの長男として生まれた。幼い頃から興味を持ったことに熱中し、とことん追求する子どもだった。小学時代は江戸川乱歩の「怪人20面相」を読破し、中学生になってからは吉川英治や司馬遼太郎の歴史小説を夢中で読みあさった。

 海星高校から名古屋学院大学に進学し、経済学部で学ぶ傍ら、柔道部のマネジャーとして部員の世話や練習相手を務めた。「インカレ出場の選手らに同行するのが楽しみだった。仲間とは、今でも時折集まって昔話で盛り上がる」と話す。

 卒業後は桑名信用金庫(現桑名三重信用金庫)に入社し、四日市西支店に配属された。企業や一般家庭を担当する営業職として勤務するうち、より広い視野で仕事をしたいと思うようになり、ファイナンシャルプランナー資格取得を目指して勉強を始めた。

 資格取得後は外資系生命保険会社に転職して3年半、再転職した保険代理店で店長として生活設計書作成や住宅ローンに関するスキルを磨きながら実績を積んだ。43歳の時、注文住宅建築会社の社長から能力と実績を買われ、即戦力にと招かれた。

 新たな職場では、住宅見学会の企画や準備、チラシ作成、来場者への営業活動に励み、約10年の営業経験で多くを学んだ。50歳を過ぎた時、「住宅相談のプロとしてもっと顧客に寄り添いたい」と起業を決意した。「その年で独立するのか」と友人らを驚かせたが、「人生いくつからでもチャレンジだ」と、諏訪栄町のアピカビル3階に事務所を開設した。

 自分の子ども世代の方々に、人生の先輩として厳しいことを言うこともあるが、長い年月を経て「あの時、相談して良かった」と思っていただけるようなアドバイスができれば最高にうれしい。「住宅資金を貸す立場の信金職員として、また家を建てる側の建築会社社員として培ってきた知識を総動員して、全ての顧客の夢の実現に向けて最適なプランを立てるお手伝いをしていきたい」と目を輝かせた。

略歴: 昭和40年生まれ。同63年名古屋学院大学経済学部卒業。同年「桑名信用金庫」入社。平成15年「アリコジャパン」入社。同18年保険代理店入社。同22年建築会社入社。同30年「三重お金と住まいの相談室」創業。令和2年日本ファイナンシャル・プランナーズ協会三重支部副支部長就任。