-地域一番の技術力で 100年企業を目指したい- 「北三重通信システム」社長 渡邉将充さん

【「地域ナンバーワンの技術力で勝ち残って100年企業を目指したい」と話す渡邉さん=四日市市城西町で】

 四日市市城西町の「北三重通信システム」は、父一生さん(67)と母洋子さん(67)が同市富田で昭和49年に創業した「渡辺通信工業」が前身。市内を中心に、ビジネスホンやファクスなどのオフィス機器の販売と施工、保守業務をしてきた。創業40周年を迎えた平成27年、会長に退いた父から経営を引き継いだ。

 時代の進歩に伴い、OA機器やネットワーク機器などの通信・電気工事と保守、防犯カメラやガス会社の検針機器設置など幅広く手掛けるようになり、東海4県に商圏を拡大し、業績を伸ばしている。社員20人と共に、常に時代の先を読みながら確かな技術力とサービスの向上に努め、顧客のニーズに応えている。

 同市富田で3人きょうだいの長男として生まれた。物心ついたころから、忙しく働く父に憧れ「お父さんのような社長になりたい」と思っていた。幼少時は、祖父から教わった魚釣りに夢中になり、クリスマスプレゼントにもらった釣り道具が何よりの宝物だった。

 富田小5年の時に軟式野球少年団に入り、富田中、桑名北高卒業まで野球に打ち込んだ。高校卒業後、愛知県の大学に進学したが「早く社会に出て働きたい」という気持ちが強くなり、大学を中退して名古屋市の大手通信会社代理店に入社した。営業を担当し、持ち前の負けん気の強さでトップの成績を維持し続けた。

 2年後、実家に戻って北三重通信システムに入社し、父に営業と現場仕事を教わり始めた。入社から1年たったころ、工場の天井での配線作業中に落ちそうになり、鉄骨に引っかかって靱帯(じんたい)を傷め、1カ月間のギプス生活を経験した。安全帯も着けずに高所作業をしていた自分を恥じ、「何より安全が第一」が口癖の父の厳しい指導が優しさだと実感した。それからは、自身だけでなく社員全員の安全に関して細心の注意を払うようになった。

 両親と妻悦子さん(43)、高3の長女玲奈さん、小3の長男琢真君の6人と、愛犬レオンのにぎやかな家庭。休日には、玲奈さんが出場する吹奏楽コンクールを見に行ったり、琢真君と釣りに出掛けたり、年数回の家族旅行を楽しんだりと、家族で過ごす時間が仕事への活力源となっている。

 夏にはバーベキュー&花火大会を開いて、社員とその家族との親睦を図っている。社員である夫や父親の仕事を理解してもらう機会となり、その子どもたちの成長も間近に見ることができる。社員と共に大きなファミリーの笑顔を守っていこうと、毎回決意を新たにしている。

 「安心して仕事を任せられる」「社員をしっかり育てているね」などの顧客からの声が、より一層の向上心につながる。「両親が築いてくれた基盤をしっかりと守り、地域ナンバーワンの技術力で勝ち残って100年企業を目指したい」と意欲を語った。

略歴:平成4年県立桑名北高校卒業。同7年北三重通信システム入社。同25―26年四日市青年会議所理事。同26年北三重通信システム社長就任。