-地域に欠かせない店に 時代の寵児との出会いが転機- 「クリーニングヨコイ」社長 松田洋人さん

【「地域になくてはならない街のクリーニング屋さんを目指しています」と話す松田さん=四日市市小杉町で】

四日市市小杉町に本社を置く「クリーニングヨコイ」は、祖父母の故横井菊一さんと故キミさんが「横井クリーニング」の屋号で昭和36年に同市富田一色町で創業。同64年に父洋さん(70)と母基子さん(68)が法人化して社名を変更した。

平成19年に分社化し、弟が鈴鹿市の工場と直営の2店舗を任された。翌20年、会長に退いた父から四日市工場と直営4店舗を引き継いだ。今年から新たにコインランドリー事業に参入して業績アップを目指している。

富田一色町で3人兄弟の長男として生まれた。幼い頃は、祖母が忙しい両親を手伝ってクリーニングの御用聞きをする傍ら、保育園の送り迎えをしてくれた。小4の時、父が事業拡大のため小杉町に新工場と自宅を建て、家族で移り住んだ。

学校から帰ると、工場でクリーニングした背広やセーターを包装する仕事を手伝っていた。いつからか、将来は家業を継ぐという思いが強くなっていた。山手中から四日市南高校、そして地元の四日市大学に進学した。

経済学部の勉学に励みながら、帰宅後は家業を手伝った。職人気質の父に代わって、会計帳簿や出納管理、給与計算などの効率化を図るためにパソコンを導入して、経理事務全般をこなした。

卒業後、家業に入社と同時にクリーニング師の資格を取得した。企業や個人宅への営業活動に加え新規開拓に励み、オートメーション機器を備えた工場での作業、配達まで夢中で働いた。その傍ら、バブル崩壊後の経済不況で落ち込む業績をどうしたら持ち直せるかを模索していた。

そんな中、右肩上がりに業績を伸ばし、時代の寵児と言われた同業者に会う機会を得た。大きな看板と明るい店舗、駐車場の確保で顧客を増やし、誰にでもできる作業マニュアルを作成して従業員を大切にする、他店にはないシミ抜きに特化した技術の提供など、会社運営の成功法を教わり、すぐさま実行に取りかかった。

「低価格なのに高品質」をモットーに、素材にかかわらず上着、ズボンなどの料金を統一し、丁寧で早い仕上げを心掛けた。また、「当店はシミ抜きが有名です」の看板を掲げ、試行錯誤を重ねて磨いたシミ抜きの技術は、「他店で断られ、もう落ちないと諦めていたのに」と喜ばれている。常連客に加えて口コミでの顧客も増え、2年ほどで再び業績を伸ばすことに成功した。

妻依里子さん(35)と長女華凜さん(6つ)、長男悠吾さん(3つ)の4人家族。子どもたちの寝顔しか見られない日が多いが、たまの休日は遊園地などで遊び、外食を楽しむという。「成長する2人の笑顔が仕事のエネルギー。家庭を守ってくれる妻に感謝です」と話す。

お客様1人1人に心から喜んでもらえるよう従業員と共に励み、地域になくてはならない「街のクリーニング屋さん」を目指している。「師と仰ぐ同業の方と出会えたことで、祖父の代からの家業を存続することできた。今後は、コインランドリーを併設した店舗を展開して事業の拡大を図っていきたい」と語った。

 

略歴: 昭和47年生まれ。平成6年四日市大学経済学部卒業。同年「クリーニングヨコイ」入社。同年クリーニング師資格取得。同12年四日市青年会議所入会。同20年「クリーニングヨコイ」社長就任。同31年四日市商工会議所青年部入会。