-人と自然大切に 社会貢献事業にも注力- 「ビコーインプレス」社長 近藤伸悟さん

【「社員がやりがいと誇りを持てるような会社にしていきたい」と話す近藤さん=四日市市羽津で】

 四日市市羽津の「ビコーインプレス」は、父方の伯父正澄さん(72)が同市西日野町で昭和52年に創業した看板製作会社「サインボード・ビコー」が前身。高度経済成長の最中、県内を中心に業績を大きく伸ばした。

 6人兄弟の3男だった伯父は、血縁関係で会社の基盤強化を図ろうと5人の兄弟たちを呼び寄せ、同57年に「コンドウビコー」と社名を改め、同市羽津に本社を移転した。看板製作に加え、内装、建設業も手掛けるようになり、さらに事業を拡大した。平成20年、社名を「ビコーインプレス」とした。

 同27年に体調を崩した伯父に代わり、相談役の父や役員らの推薦によって社長に就任した。「自由自在の考えを持ち、人と自然を大切にして社会に貢献する」―創業者の精神を35人の社員と共に引き継ぎ、就任後は東京と広島に事務所を開設し、関東から四国、山陰、九州北部にまで商圏を広げた。

 組織は営業、設計、積算、工事担当者で編成する3つをはじめ8事業部を設けている。第1事業部は店舗、住宅の新築と改装、第2事業部はチェーン店の新築と改装、第3事業部は木工家具、建具の製作と販売を受け持つ体系にした。営業から引き渡しまで一環対応することで効率が上がり、施主とのコミュニケーションがスムーズになった。

 専門性に優れたスペシャリストではなく、例えば現場監督がデザインも営業も兼任できるような広範で豊富な技能を持つゼネラリストの育成を目指している。建築士や施工管理技士などの資格取得を社員に奨励し、給与に反映している。初めは戸惑っていた社員らも今では意欲を持って挑戦するようになった。

 百貨店のテナント、ショッピングモールの内装などは、顧客に店のコンセプトなどのヒアリングを重ねながらイメージを形にし、企画、設計、施工、看板製作までを手掛ける。

 設計から施工まで数店舗を手掛けた伊賀の里「モクモクファーム」のレストランは、外観、内装とも木をふんだんに使い、こだわりの自然食材料理を味わう空間を演出した。施主から「木を生かした店作りはさすがビコーさん。落ち着く雰囲気だと来店客の評判も上々」と、うれしい声が届いた。

 愛知県で4人きょうだいの長男として生まれ、5歳の時に四日市、11歳の時に鈴鹿に移り住んだ。幼少時から物作りが好きで、休日には父の仕事場に連れて行ってもらい、現場監督として働く父の姿を見るのが大好きだった。小学校の卒業文集には「大きくなったら現場監督になる」と夢を記した。

 小2から高校卒業まで11年間打ち込んだサッカーを通して協調性を養い、仲間との信頼関係の大切さを学んだ。進学した津工業高校建築科では製図や測量技術、工程表の作り方などを学ぶ傍ら、休日は父が携わる工事現場の仕事を手伝った。

 伯父から「卒業後はビコーに入れ」と望まれたが、「しばらくはよそで修行したい」と名古屋市の総合建築会社「矢野建設」に入社。1年間の研修後、マンションや事務所の現場監督を務めた。3年後、業績不振を理由に戻って働く場のある若年社員を対象にした退職勧告を受け、四日市に戻って「コンドウビコー」に入社した。

 「コンドウビコー」では、昼間は建築現場を掛け持ち夜はデパートや店舗の閉店後の改装など、無我夢中で働いた。「心身ともに疲れていたが、この仕事が好きだったから続けられた」と言う。

 両親と妻、長女、次女の2世帯同居。夏休みには子どもたちのリクエストで妻の実家がある志摩やレジャー施設などに出掛ける。「家族の笑顔が最高の癒やし。居心地のいい家庭をつくってくれる妻に感謝です」と話す。

 平成27年から、「県子ども虐待防止・いじめ防止啓発事業」をはじめ、「みえ子どもわかもの育成財団」の子ども応援隊育成事業、松阪市の「みえこどもの城」で使用する子ども向けの椅子づくりプロジェクトや親子木工教室開催など、社会貢献事業にも力を注いでいる。

 3年前からは働き方改革を取り入れ、残業や休日出勤を極力減らし、有給とは別に年1回のアニバーサリー休暇制度も設けた。「長引くコロナ禍で厳しい状況。コロナ前の状態に戻すため営業活動をより一層強化して事業の安定を図り、社員1人1人がビコーで働くことにやりがいと誇りを持てるような会社にしていきたい」と展望を語った。

略歴: 昭和52年愛知県生まれ。平成6年県立津工業高校建築学科卒業。同年「矢野建設」入社。同9年「コンドウビコー」入社。同27年「ビコーインプレス」社長就任。令和3年四日市商工会議所青年部副会長。同年四日市ライオンズクラブ理事。