-人と企業の発展手助け 得られた信頼は最高の宝- 「GMC(グローリアス・マネジメント・カンパニー)」社長 田村崇史さん

【「今後は企業経営者の困りごとにも幅広く対応できるリスクコンサルティングを充実させていきたい」と話す田村さん=四日市市八田で】

 四日市市八田の「GMC」は、父博さん(70)が東京海上日動火災保険代理店「田村保険事務所」として、同市新正で昭和49年に創業。北勢エリアの個人・法人に、事故や災害、賠償などさまざまなトラブルやリスクへの備えを提案している。平成16年、会長に退いた父から経営を引き継いだ。

 「人と企業を守り、期待と満足を追求する」という創業の精神を継承。時代のニーズを敏感に捉えながら、社員9人と心を一つに人と企業の発展をサポートし、営業実績を大きく伸ばしている。

 同市西富田町で3人きょうだいの長男として生まれた。幼少時は、共働きの両親に代わって面倒を見てくれた祖母が大好きだった。小学時代はソフトボールに打ち込み、中学生になってからは、亡き母多美子さんの勧めで英会話塾に通い始めた。勉強は苦手だったが、英語だけは学年でベスト3に入っていた。

 津市の高田高校を卒業後は、母親の希望で田村保険事務所に入社した。既契約の顧客回りをして継続を依頼する業務を担当したが成果は上げられず、毎日のように父に叱られた。「親元を離れたい」という思いが強くなり、卒業後に友人らと組んでいたバンドのボーカルの道に進もうと、4年後に退社して単身上京した。

 府中市で部屋を借り、音楽学校で歌唱やダンスのレッスンに励む傍ら、ウエーターのアルバイトをする日々を送り始めた。4年間の都会生活で、働かないと食べていけないという現実に直面し、音楽への情熱が色あせ、歌手になる夢も遠のいた。体調を崩して働けない時のために備える保険の大切さも身を持って体験した。

 帰省して、父と正面から向き合い「もう一度やり直したい」と心からわびた。社員の手前、辞めた息子が戻るのはどうかと返事を渋っていた父に、社員らは「また一緒にやりたい」と、復職を歓迎してくれた。

 「父は損保のエキスパート、なら自分は生保の分野でナンバーワンを目指そう」と決意して、新たな気持ちで一歩を踏み出した。常に顧客の立場になって最良の企画を提案するうちに、契約者からの紹介をもらえるようになった。

 5年後には世界69カ国の生保募集人のトップクラスで組織するMDRTに入会を許された。褒めてくれることはなかったが、少し認めてくれたのかそれを機に、父は会長に退いた。「まだまだ未熟者だが、社員一人一人の力を結集してお客さまの人生を徹底的に守っていこう」と決意し、社長の座に就いた。

 妻三香子さん(44)と4歳の長男悠馬君の3人家族。日々成長する悠馬君を中心に会話がはずみ、休日は3人で外食やドライブを楽しんでいる。「ほっと心癒やされる場をつくってくれる妻に感謝です」と話す。

 「保険業務で得られた信頼を最高の宝として、今後は企業経営者の困りごとにも幅広く対応できるリスクコンサルティングを充実させていきたい」と意欲を見せた。

略歴: 昭和47年生まれ。平成2年高田高校卒業。同年田村保険事務所入社。同9年「GMC」に社名変更。同16年「GMC」社長就任。同17年中小企業家同友会入会。