-人とのつながり大切に 障害者の雇用創出も視野に- 「土地家屋調査士市川誉事務所」代表 市川誉さん

【「将来は障害者の雇用創出も視野に入れている」と話す市川さん=四日市市大宮町で】

 四日市市大宮町で「土地家屋調査士市川誉事務所」を平成17年に創業。依頼者の土地や建物の所在や形状などを測量して、図面作成や不動産の表示に関する登記の申請手続きをしている。「常に初心に戻る」をモットーに、社員6人と共に顧客との信頼関係を築きながら、北勢地区を中心に業績を伸ばしている。

 四日市市で2人兄弟の次男として生まれた。幼少時は、電車内を走り回って祖母に叱られたり、ポケットにダンゴムシやトカゲを入れて帰って母を驚かせたりとやんちゃで好奇心旺盛な子どもだった。

 小6の時、両親が離婚し、兄は父と、自身は母と暮すようになった。中学生になった頃、美容師資格を持つ母節子さん(69)が美容室を開業。忙しく働く母の負担を少しでも軽くできたらと、野球部の練習を終えて帰宅後はユニフォームを洗濯し、食事の支度もするようになった。「子ども心に、父には父の人生があり、母には母の人生があるのだと感じた」と振り返る。

 「将来は社長になって母に楽をさせたい」と勉学に励み、川越高校から愛知県の中京大法学部に進んだ。奨学金を受け、百貨店や居酒屋などでアルバイトをして、母から学費などの援助は一切受けなかった。卒業後は一号館に入社したが、独立への模索は続けていた。

 そんな時、母から自分の高校時代の友人が市内で土地家屋調査士事務所を開業して成功しているという話を聞いた。「そこに勤めながら資格取得を目指そう」と決意し一号館を退社、母の友人の事務所代表に直接交渉をして入社の許可を得た。就業時間は代表や先輩らの測量調査などを現場で学び取り、帰宅後は、測量や登記申請について深夜まで学修した。2年目で測量士補資格、3年目には土地家屋調査士資格を取得した。「あれほど真剣に勉学に打ち込んだのは初めてだった」と振り返る。

 同事務所で経験を積み、入社から5年後、事務所代表に独立の意志を伝えた。市内での開業はライバル関係になるのだが、代表は「そうか、頑張れよ」と祝福し、送り出してくれた。

 母が経営する美容室の隣に事務所を開設。測量資材やCAD(コンピューター利用設計システム)などの購入でマイナスからの船出だったが、知人の紹介などで少しずつ仕事が増え、翌年には軌道に乗せることができた。「安心して任せられる」「上手にまとめてくれた」などの顧客からの声を励みに、社員と気持ちを新たにしている。

 家族は、妻洋子さん(42)と長男源君(16)、長女蘭さん(13)、8歳の愛犬プー(キャバリア、オス)の4人と1匹。仕事が忙しく、家族と過ごす時間は少ないが、プーを中心に会話が弾み、皆の笑顔が広がるひとときが活力源になっている。

 人と人とのつながりを大切に、不動産取引や相続など、依頼者に最善かつ的確なアドバイスを提供していきたい。「働きやすい職場づくりで社員の意識向上を図り、将来は障害者の雇用創出も視野に入れている」と展望を語った。

略歴: 昭和52年四日市市で生まれる。平成11年中京大学法学部卒業。同12年司法書士・土地家屋調査士「高田常豊事務所」入社。同17年「土地家屋調査士市川誉事務所」創業、代表に就任。同29年四日市西ロータリークラブ入会。同年県土地家屋調査士会四日市支部副支部長就任。