-ブランド化進め発展へ 用途拡大や海外にアピール- 「オコシ型紙商店」社長 起正明さん

【「伊勢型紙のブランド化を進め、業界の存続と発展を図っていきたい」と話す起さん=鈴鹿市江島本町で】

 鈴鹿市江島本町の「オコシ型紙商店」は、奈良県出身の祖父、故貞太郎さんが型紙職人の修行を経て、大正13年に創業した伊勢型紙の老舗店。昭和27年には伊勢型紙彫刻が無形文化財に指定された。

 父稔さん(83)の代には、呉服メーカーや染色業者の注文を受けて図案を型紙に起こす仕事に加え、オリジナル図案の彫刻、販売までを手掛けるようになった。また、手彫りでは難しかったぼかしなどの繊細な表現が可能なシルクスクリーン型を導入し、京都をはじめ全国から業者が買い付けに殺到して業績を飛躍的に伸ばした。

 平成25年に父から経営を引き継いだ。和装の衰退に伴って業績は悪化の一途をたどる中、試行錯誤を重ねてこれまでになかったインテリア雑貨や文具などを県内外の建築設計事務所やインテリア業界に提案、伊勢型紙の用途を拡大して業績を維持している。

 鈴鹿市で1人っ子として生まれ、幼少時は祖父や両親、叔父らが忙しく働く姿を見ながら育った。白子小から中高一貫の海星中学に進んだ。物心ついたころから家業を継ぐことを意識し、それを実現するため京都の同志社大経済学部に進学した。

 勉学の傍ら、アメフトやスキー同好会の活動、飲食店でのアルバイトも経験したが、1番の思い出は卒業を前に北米や欧州など各国を1カ月掛けて1人旅をしたこと。言葉の壁や異なる文化を肌で感じ、視野が大きく広がった。

 社会経験を積んでから家業に就こうと決め、卒業後はインテリアメーカー「アスワン」の東京支店で、営業マンとして3年間勤務し、「オコシ型紙商店」に入社した。

 父や叔父から教わりながら、外注の絵師や職人らに型紙作成の指示や、受注・販売の営業も担当するようになった。当時は売り上げアップのための役員会議もなく、従業員管理にも無頓着だった昔気質の父に経営改善を提案したが受け入れられず、業績は落ち込む一方だった。

 焦燥感に駆られ、海外で伊勢型紙を紹介することを思い立った。県などの補助を受けて平成22年、仏で開催されたインテリア総合国際見本市に出展して好評を得たが、具体的な用途説明などの準備が間に合わず販売に至った件数はわずかだった。翌年のパリ素材見本市では大盛況を博し、世界への足がかりを得た。

 知人から紹介されたデザイナーの協力を得て、伊勢型紙の文様を活用したカードやコースター、文様を刻印した木箱、スマホケースなどを制作し、各地の土産物店に卸し始めた。名刺ケースは、ふるさと納税の返礼品にも採用されるようになり、国内での認知度も上がった。

 妻真由美さん(54)、長女有紀さん(23)、次女あかねさん(23)の4人家族。「幼い頃は父親っ子だった双子の娘たちが、今は妻にべったりで少し寂しい。家事と子育て、経理としても支えてくれる妻に心からありがとうと言いたい」と話す。

 「本業が低迷する中、伊勢型紙で染めた反物で仕立てるオートクチュールなど、新たな取り組みを模索しながら具現化していきたい」とし、「伊勢型紙協同組合の若い担い手らと共に手を携えて、伊勢型紙のブランド化を進め、業界の存続と発展を図っていきたい」と意欲を見せた。

略歴: 昭和39年生まれ。同62年同志社大学経済学部卒業。同年「アスワン」入社。平成2年「オコシ型紙商店」入社。同25年社長就任。同30年NPO法人「歴史と文化のある匠の見える里の会」監事。令和元年鈴鹿商工会議所産学官交流会理事就任。