-テレワーク推進、支援 業務効率化し顧客も満足- 「中部システムセンター」社長 田中裕嗣さん

【「新しい働き方を推進、支援していきたい」と話す田中さん=津市一身田平野で】

 津市一身田平野の「中部システムセンター」は、キヤノン代理店として父嗣泰さん(71)が昭和52年に創業。市内を中心にコピー機の販売とリースに携わり、平成になってからはオフィス家具や業務用ソフトも取り扱うようになり、県全域にエリアを拡大した。

 平成26年、会長に退いた父から経営を引き継いだ。従来のオフィス機器販売とリースに加え、労働内容の改善と快適な職場環境を提案する働き方改革コンサルティングに力を注ぎ、新規の顧客を増やしている。

 津市で2人きょうだいの長男として生まれた。幼い頃から跡継ぎ息子と周囲に言われてきたが家業に興味を持てなかった。中高6年間はテニスに打ち込み、将来は建築に関わる仕事に就こうと決め、長野県の信州大学工学部に進学した。

 社会開発工学科建築コース3年からは構造系の研究室に入り、大学院修了まで学んだ。勉学の傍ら、テニスのサークル活動やギターの弾き語りで自作曲を披露する路上ライブなどを楽しみ、充実した学生生活を送った。

 卒業を前に人生初の挫折感を味わった。教授から勧められた就職先のゼネコンやハウスメーカーなどで活躍する自分の姿がどうしてもイメージできず、建築業から離れることを決意した。東京のベンチャー企業に就職したが長続きせず、派遣社員として働くようになった。

 その様子を案じた父の紹介で、「キヤノンマーケティングジャパン」東京本社に入社した。新規開拓の営業で何カ月も成果を上げられずに悩む中、的確な提案ができるよう商品知識を深め、じっくりと信頼関係を築いていくことが課題解決になるのではと思い当たった。

 帰宅後も必死で商品や業界の課題について勉強した。機器単体での売り込みではなく、コピー機と基幹システムをつなぐことで能率アップとともにオフィス全体の環境改善になり、経営課題である長時間労働の解消にも役立つことを提案できたらと考えるようになった。2年後、大口の契約を獲得し営業マンとしての喜びをかみしめた。

 同社を3年余で退社し、新たなスキルを身につけようと、企業ごとに適した労働環境改善のアドバイスをする「人事・組織コンサルティング」会社に4年間勤務した。その後、津市に戻り「中部システムセンター」に入社した。

 父の下で営業を手伝いながら、まず社内の業務効率化を図った。取引先との通信接続によって機器の不具合を未然に防ぎ、故障時に迅速に対応できる遠隔監視体制を構築。顧客は機器故障による仕事の中断がなくなり、自社にとっては社員の残業や休日出勤を大幅に減らすことができ働き方改革につながることを確信した。

 時間外でもお客様対応をしてきた父に納得してもらえるまで時間が掛かったが、入社から3年後に「全てお前に任せる」と言って父は会長職に退いた。以後、2代目社長として「残業を減らしながら、お客様の満足度をあげていこう」を合言葉に、育児・介護世代の社員を支援するファミリー時間休暇制度や繰り上げ勤務制度などの社内改革を進めていった。

 2年後の平成28年には、第1回ホワイト企業アワードの「西日本大賞」と「ワークライフバランス部門賞」、翌29年には第2回同アワード「労働時間削減部門大賞」を連続受賞した。対外的に評価されたことでさらに自社実践を進め、そのノウハウを基に本格的にコンサルティング事業を始め業績を伸ばしている。

 妻と子ども3人の5人家族。午後6時には帰宅して家族そろって夕食を囲み、ひとりひとりの話に耳を傾ける。子どもたちが好きなゲームを楽しみ、流行のダンスに興じる。「家族と過ごす時間が何よりの癒やしです」と話す。

 働き方改革が叫ばれる中、平成30年度に県から委託された「働き方改革取組拡散事業」を県内企業に展開。また、コロナ禍の令和2年度には「テレワーク導入促進事業」を受託し、機器導入やIT(情報技術)ツールの活用、社内体制の整備などを各企業に提案してきた。「今後もより多くの企業にテレワークという新しい働き方を推進、支援していきたい」と語った。

略歴: 昭和53年生まれ。平成15年国立信州大学大学院修了。同年から同22年まで「ITベンチャー会社」「メーカー販売会社」「コンサルティング会社」などに勤務。同22年「中部システムセンター」入社。同26年「中部システムセンター」社長就任。