-ゼネコン取引で販路拡大 学校備品修理で地域貢献も- 「安田金属工業」社長 中村真啓さん

【「施主の夢を現実の形にして喜んでもらえるような会社にするのが目標です」と話す中村さん=桑名市和泉で】

 桑名市和泉の「安田金属工業」は、建築会社の下請け鍛冶屋として義父の安田修司さん(79)が同市内堀で昭和41年に創業した。その後、アルミ製品の製作・施工を経て金物業に移行、大型建築物の外壁やホール天井、オブジェなど装飾性の高い建築金物を手掛けるようになった。

 平成28年、会長に退いた義父から経営を引き継いだ。同30年には、板金の打ち抜き加工をする大型機械(タレットパンチ)や曲げ加工機(プレスブレーキ)の最新機を導入した第2工場を稼働させ、地場ゼネコンの金属工事請負や各地のパチンコ店の新築・改装に携わるようになり業績を伸ばしている。

 四日市市で3人きょうだいの長男として生まれた。小学校の下校時、雨でぬかるんだ工事現場で泥んこ遊びに夢中になり、全身泥まみれで帰宅したことがあった。「おおらかな性格の母は叱りもせず、笑いながら着替えさせてくれた」と懐かしむ。

 常磐中・四日市南高の6年間は剣道に打ち込み、中3の時には県大会に進んだ。卒業後は愛知学院大に進学。経営学科で学ぶ傍ら、「ユースホステルクラブ」を通して他大学の学生らとの交流を楽しんだ。

 愛知県内の大学22校の部員約800人が集う年1回の大規模キャンプの実行委員を務めたことをきっかけに、交友関係が広がった。「生涯の友ができたことと目標に向かってチーム力を高めることを学べた4年間だった」と振り返る。

 卒業後は、アパレル企業に洋服生地の企画・卸販売をする生地商社「パリカ」(本社名古屋市)に入社した。顧客側デザイナーの要望を受け、生地の風合いや染める色を生地デザイナーらと決めて機織り業者に依頼し、サンプルの吟味を重ねながら完成した生地を卸す仕事に携わった。

 25歳の時、高校のクラスメートだった裕子さんと結婚した。5年後に次男が生まれた頃、マンション建設ラッシュなどで多忙な義父の会社を手伝いたいと思うようになった。妻は2人姉妹の妹で、姉はすでに嫁いでいたため跡継ぎがおらず、妻と話し合って義父に相談し、後継者として受け入れてもらえることになった。

 1年後に生地商社を辞めて、「安田金属工業」に入社した。職人気質の義父や先輩社員から製品の製作工程を学び、納得できるまで質問攻めにしながら仕事を覚えていった。営業にも力を注ぎ、従来の得意先に加えて、新たにゼネコンとの直接取引で販路を拡大していった。

 義父から経営を引き継いだ後は、建築士や現場監督らと専門的な話ができるように、勤務の傍ら四日市市の日建学院に通って1級建築施工管理技士と2級建築士の資格を取得した。社員が気持ちよく働ける環境を整えるため、個人面談の日を設けて育児や介護などの相談を受けている。また、地域貢献の一環として、近隣の小中学校から卓球台やサッカーゴール枠などの備品修理の依頼に無償で応えている。

 妻裕子さん(48)と長男真大さん(20)、次男藤也さん(18)、3男泰士さん(16)、長女心春さん(14)の6人家族。野球、サッカー、テニスとそれぞれ好きなスポーツで活躍する我が子たちの勇姿を愛用のカメラで撮るのが最高の楽しみ。「子どもたちには好きな道に進んでほしい。子育てに奮闘する妻には感謝の気持ちを伝えたい」と話す。

 社員と共に、お客さまの期待を越える仕事ができるよう、問題を解決に導く能力を身につけ、失敗から学ぶ姿勢でチャレンジを続けたいという。「常に斬新なアイデアを追求し、施主の夢を現実の形にして喜んでもらえるような会社にするのが目標です」と目を輝かせた。

略歴: 昭和47年生まれ。平成7年愛知学院大学経営学部卒業。同年「パリカ」入社。同16年「安田金属工業」入社。同28年「安田金属工業」社長就任。