-「お客様第一主義」 健康寿命伸ばすお手伝い- 「希望荘」社長 望月智広さん

【「地域になくてはならない施設を目指したい」と話す望月さん=菰野町千草で】

 菰野町千草の宿泊・健康増進施設「希望荘」は、昭和42年、県内約970社の中小企業が出資して福利厚生施設「協同組合三重県勤労者福祉センター」として誕生した。平成21年に民間委託に移行し、組合創立50周年を迎えた同26年、会長に退いた初代社長の山本春三さん(72)を引き継いで2代目に就任した。

 初代社長の時代に同荘の源泉を調査した結果、免疫力や自然治癒力を高めるとされるラドンの含有量が国内屈指の濃度であることが判明。このラドンの効能を、地域の宝として県内外から訪れる皆さんに還元したいという初代の思いを実現するために増設した熱気浴室「ラドンの泉」は、平成28年に県初の「温泉利用プログラム型健康増進施設」として厚労省認定を受けた。温泉入浴指導員が熱気浴室利用者の相談に応じている。

 客室39室、収容人数約160人。大小15の宴会場、ふる里のお祭り広場をイメージした民芸風茶屋やかまどやいろりで調理する田舎屋などの食事処では、四季折々の地元食材の一番おいしい時季にだけ提供する「旬作旬消」を目指している。

 温泉施設は、菰野富士の展望が広がる本館4階の大浴場「自助(じすけ)の湯」をはじめ、森林浴を楽しみながら県産ヒノキ作りの湯けむり回廊を進むと「木漏れ日の湯」や「望山の湯」がある。入湯後にゆったりとくつろげる休憩処「座忘庵」も完備している。

 静岡県で2人兄弟の長男として生まれた。幼少時は夏休みになると、早朝に父が近くの林にカブトムシ捕りに連れて行ってくれたことがうれしかった。

 漫画「キャプテン翼」に憧れて、小1からサッカーを始めた。小5で出場した県大会で準優勝したが、中3の時に腰を痛め、サッカー選手になる夢は断たれた。高校では、父に教わった将棋に興味を持ち、プロ棋士の顧問の指導の下、実戦棋譜を基に定跡や戦法を必死に学んだ。高2の県大会で優勝を果たし、掲載された写真入りの新聞記事を見て恩師も家族も大喜びしてくれた。

 高校卒業後は名古屋市の4年制ビジネススクールで英語を学んだ。卒業後は静岡に戻って通訳者を目指すつもりだったが、教師の推薦で菰野町の「希望荘」の面接を受けた。その時、同窓会で久しぶりの再会を抱き合って喜ぶ老婦人らの姿をロビーで目にし、人に幸せをもたらすこの職場で働きたいと思った。

 入社後はフロント係として、お客さまのお迎え、お見送りから電話応対まで先輩社員らの指導で研修が始まった。フロントの善し悪しが、希望荘の評価に直結する重要な役割であることを常に自身に言い聞かせながら勤務に励んだ。

 観光客や会議で訪れるお客それぞれに応じた接客を心掛け、いつからか常連客に「もっちゃん」と呼ばれるようになり、愛称で呼び合う仲の親しいお客さまが増えていた。3年目で主任となり、副支配人、支配人を経て入社から18年目で2代目社長に抜擢された。

 「社長宅に招かれ次期社長を打診された時、自分に務まるのかと不安になったが、『肩書きが人を成長させるのよ』という社長夫人の一言が背中を押してくれた」と振り返り、「お客さま第一主義で、健康寿命を伸ばすお手伝いをする」という前社長の思いを引き継ぐことを決意した。

 奄美大島出身の妻奈緒美さん(36)と長男大雅君(9つ)の3人家族。仕事で帰宅が遅く、週末も一緒に過ごせないことが寂しいが、たまの休みに息子とサッカーやゲームを楽しみ、親子3人で過ごすひとときが何よりのリフレッシュタイム。「職場結婚で仕事を誰より理解し、居心地のいい家庭を作ってくれる妻には感謝しかない」と話す。

 「社名のように希望を持ち、コロナ禍の厳しい状況を65人の社員一丸となって乗り越え、地域になくてはならない施設にしていきたい」と力強く語った。

略歴: 昭和48年静岡県生まれ。平成8年4年制ビジネススクール卒業。同年「希望荘」入社。平成26年「希望荘」社長就任。令和2年湯の山温泉協会監事就任。同年菰野町観光協会監事就任。