-人のつながりを大切に 高齢者や障害者の就業支援も- 人材派遣会社「エヌ・ティー・エス」 社長 鉛山龍登さん

【「幅広い人材の確保で企業の要望に応えたい」と話す鉛山さん=四日市市東富田町で】

人材派遣会社「エヌ・ティー・エス」は、届出制の特定派遣業者として四日市市栄町で平成25年に創業。翌年には厚生労働省の許認可を受けて一般派遣会社に移行し、同市東富田町に営業所を開設した。現在は東海3県を中心に、企業のニーズに沿った登録スタッフを派遣し事業を拡大している。

物流センターや運送会社、製造会社などからの求人に応じて、約120人の登録スタッフの中からそれぞれの仕事に適した人材を派遣する。職種は、仕分けや荷積み作業、自動車や電子部品の組み立て・加工・検査作業、フォークリフト運転、事務職など多岐にわたる。高齢者や障害のある人の就業支援には特に力を注いでいる。

鹿児島県で2人きょうだいの長男として生まれた。幼いころから目立ちたがり屋で、授業参観日には答えが分からなくても真っ先に手を挙げていた。小2から始めた剣道は、2年後に県大会で優勝、鹿児島商業高校3年の時には県代表としてインターハイに出場するほどの腕前だった。

剣道のスポーツ推薦で埼玉県の大東文化大に進学。1年目で全日本学生選手権出場を果たし、順風満帆の学生生活だった。2年生になった時、「このまま剣道でトップを目指し、敷かれたレールの上をただ進むだけでいいのか」と自問自答するようになった。その後まもなく、何をやりたいのか分からないまま、親に相談もせず大学を中退した。

鹿児島には戻れず、福岡県の友人の部屋に転がり込んだ。アルバイトなどで細々と食いつなぐ生活の中で、三重県で人材派遣会社を経営している兄がいると知人から聞き、その社長を頼って四日市市にある会社を訪れた。

社員に採用され、大小の企業に飛び込み営業をするようになった。何度断られても粘り強く足を運ぶうち、人事担当者らの信頼を得られるようになった。「鹿児島なまりと珍しい名前が覚えやすく、幸いしたのかも」と振り返る。

職場にも新しい土地にも慣れてきたころ結婚し家庭を持った。妻宏美さんとの間にひとり娘の美南海さんが生まれた年、リーマン・ショックによる不況のため仕事を失った。その後、不動産会社などいくつかの会社を転々とし、自分がどこまでやれるか試したいと起業を決意した。

鹿児島県人会長の稲盛和夫氏にしたためてもらった西郷隆盛の言葉「敬天愛人」を座右の銘として胸に刻んでいる。社員や登録スタッフらに「ネット社会の今だからこそ、人と人とのつながりの大切さを改めて見直そう。派遣先では常に笑顔で前向きに取り組もう」と話している。

家族3人そろってお笑い番組が大好き。休日には好きな芸人のビデオを見て笑い転げたり、7歳になった美南海さんとコントを演じたりして過ごす。「妻と娘の笑顔が仕事への活力です」と話す。

「企業には幅広い人材の確保で要望に応え、高齢者や障害のある人には、それぞれの状況に合った派遣先を開拓していきたい」と意欲を語った。

略歴: 昭和55年鹿児島県生まれ。平成11年鹿児島商業高校卒業。同13年大東文化大学経済学部中退。同25年エヌ・ティー・エス創業。同26年四日市青年会議所入会。