都会で修行、視野広く 小学時代決意「父と同じ道を」 大徳屋長久社長 竹口久嗣さん

「やりたいことはたくさんある」と話す竹口社長=鈴鹿市白子1丁目の大徳屋長久で

 鈴鹿市白子1丁目に本店を持つ大徳屋長久は創業享保元1716年の老舗和菓子店本店をはじめ市内中心に6店舗を構える現在16代目

 小学校3年生までは、体の弱い子どもだった。記憶は無いが、乳児の頃には生死をさまよったこともあるという。病気がちで、引っ込み思案な幼少期を過ごしたが、小学3年生の時、両親の勧めで始めた剣道がきっかけで、人生が変わった。

 「すっかり健康になって、ほとんど病気もしなくなった」と陽気に笑う。性格も社交的になり、本来の活発さを取り戻した。

 和菓子の道に進もうと決めたのは、小学4年生の時だった。ある日の夜中、自宅に隣接する工場に向かって廊下を歩く父親の後ろ姿を見て、「なぜだか自然と『自分もやりたい。和菓子職人になるんだ』と素直に思った」と当時の記憶を思い起こす。以来、今まで1度もその気持ちがぶれたことはない。

 大学まで剣道ひと筋で頑張ってきた。4段の腕前で、高校時代は個人戦で県大会2位、大学時代は団体戦で西日本の3位になった経験もある。大学4年の時、最後の大会が終わると同時に退学。「大学は剣道をするために入ったから未練は無かった」とすっぱり断ち切り和菓子の専門学校に入学そこで2年間みっちりと基礎を学んだ

 卒業後は大阪の人気和菓子店で、4年ほど修業を積んだ。新しさを取り入れたはやりの店で、視野が広がった。この店での経験が、「老舗の古いやり方を変えていくのは、自分しかいない」という強い思いになり、いつしか「店を継ぐこと」へのプレッシャーをはねのけた。

 28歳の時に後継者として、父親の店に戻った。洗い物や掃除の仕方など、細かい部分から変えていこうと、何でも率先して自分でやった。大変だったが、いつしか少しずつ周囲の反応が変わり、理解を得ていった。

 社長に就任してからは、「もっと若い世代の人たちに、和菓子を食べてもらいたい」と、創作和菓子にも力を入れてきた。とはいえ、「洋菓子の要素を取り入れて、間口を広く。でも追求するのは和菓子」と、あくまでも和菓子にこだわる。

 和菓子の魅力について尋ねると、「和菓子には四季がある。花や動物などで24節気を表現できるのは日本の和菓子だけ」「和菓子は素材や作り方がシンプルな分、ごまかしがきかない」と熱く語る。一方、「ケーキもおいしいけどね」と顔をほころばせる。

 専門学校で和菓子作りを指導し、今年で3年目となる。後輩育成に尽力しながらも、講習会に参加し、自分自身の技術向上も忘れない。

 「やりたいことはたくさんある。いつか鈴鹿で和菓子を専門に教える場ができたら。新しい鈴鹿銘菓も作りたい。海外出店も目指している」と満面の笑みで夢を語る。

略歴:昭和54年生まれ。鈴鹿市出身。平成24年に大徳屋長久社長就任。現ユマニテク調理製菓専門学校で和菓子臨時教員など。