自分追い込み、答え出す 整備士時代、問題点を黙々勉強 豊栄モータース社長 田中淳一さん

「自分を追い詰めることで答えが出てくる」と話す田中社長=鈴鹿市磯山4丁目の豊栄モータースで

 鈴鹿市磯山4丁目の豊栄モータースは、昭和43年に現会長で父親の金藏さん(74)が創業した。県内全域や愛知県の一部を対象に、事業用トラックなど商用車を中心とした自動車整備をしている。

 活発で運動神経が良く、小さい頃から運動が得意だった。「走るのが速くて、運動会ではいつも1等だった」という。

 小学校6年生の時には身長が170センチあり、周囲と比べ飛び抜けて背が高かった。「小学5年生の夏休みに、20センチくらい一気に背が伸びた。自分もびっくりしたけど、2学期のみんなの驚きようは忘れられない」と笑う。

 中学、高校時代はバスケット部に所属し、主将として活躍。中学の時には東海地区2位に入賞した。練習を通じて、強い精神力を身に付けた。

 父親が起業したのは4歳の時。「実は、子どもの頃は医者になりたかった」と打ち明ける。「車検に持ち込まれる医者の先生たちの車は、みんな外車でかっこよくて。憧れた」だが、長男としての責任感から家業を継ぐことを決意。高校卒業後は、高山の短期大学で自動車整備を学んだ。

 修業も兼ね、整備士として自動車会社に入社。「机上の理論と現場では全然違う。ギャップが激しかった」。持ち前の負けず嫌いで努力家の性格が顔を出し、タイムカードを押してから、毎日のように整備を練習し、問題点を書いたノートを作って勉強。黙々と努力を重ねた。「今でも修理するときは、雑念を入れないように、自分が機械になろうと思っている」と話す。

 3年ほど働き、結婚を機に実家へ戻った。「整備士としては向いてないと思っていたけど、お客さんに喜んでもらうことはうれしかった」と振り返る。

 社長に就任したのは34歳。父親から突然交代を告げられ驚いたが、もともと本田宗一郎や松下幸之助に憧れがあり、経営に興味があった。

 だが、現実は思うようにいかない。赤字を出さないよう考えるほど思い切ったことができず、行き詰まりを感じるようになった。

 経営者の集う勉強会に参加し、人との出会いの中で少しずつ考え方が変わってきた。「目標に向かうために、いろんな道があるということを学んだ」。学びを生かし、整備の合理化に取り組んできた。

 「自分を追い詰めることで、答えが出てくる」「問題に挑むことがリフレッシュになる」と語る。

 仕事だけでなく、今年は鈴鹿花火実行委員長として尽力した。白子港に8万人を集客し、千発の打ち上げ花火を夜空に輝かせ、大成功。「鈴鹿が好き。来年は1500発に挑戦したい」と笑顔を見せた。

略歴:昭和39年生まれ。鈴鹿市出身。同63年豊栄モータース入社、平成10年社長就任。現鈴鹿整備組合副理事長、栄商工会会長、鈴鹿花火実行委員長など。