積極的に障害者雇用 みんな思い切り働ける場を レグルス代表取締役社長 伊藤良一さん

「どんな人でも思い切り働ける会社にしたい」と話す伊藤代表取締役社長=鈴鹿市若松中のレグルスで

 鈴鹿市若松中に本社を置くレグルスは、自動車部品を製造している。昭和37年、父親の良雄さん(85)が前身となる「伊藤製作所」を創業した。平成25年度には経済産業省「ダイバーシティ経営企業百選」に選ばれた。

 10歳ごろまでは体が弱く「週末に熱が出るのは当たり前。小柄だったので、ランドセルを背負うのがつらくて、道端に置いて家に帰ったこともたびたびある」と振り返る「その反動か、中学生になると1年に10センチずつ背が伸びて、毎年新品の制服を着ていた」と笑う。

 小学生の頃から植物が好きで、中学では友人と2人で園芸部を立ち上げた。理科も好きで、掛け持ちで科学部にも所属。高校では生物部で活動した。今でも趣味として、自宅でいろいろな花を育てている。「花はしゃべらないところがいい。手をかけた分だけ、きれいな花を咲かせてくれる」と満面の笑顔を見せる。

 「バイオ系に進み、花の開発がしたい」という夢はあったが、父親の後を継ぐことを決め、大学卒業後にレグルスへ入社。現場に入ったり、営業をしながら仕事を覚えた。こつこつと実績を上げてきた父親の後ろ姿を見ながら、納期を守ることの大切さなどを自然と学んだ。

 妻の久仁子さん(59)とは24歳で結婚した。小学生の頃からよく遊んだ幼なじみで、「実は幼稚園の卒園写真にも一緒に写っていた」と笑い、「さっぱりしていて、愚痴を言わない。我慢強いところが魅力」と話す。

 転機は40歳の時。自宅の洗濯小屋の屋根から落ち、頸椎(けいつい)を損傷した。事故直後、意識はあるが体は動かない。死に向かっていると漠然と理解したが、恐怖感はなく冷静に、救急車を呼ぶよう指示。3人の子どもたちには「お母さんを頼む」と言葉を残した。

 その後、意識を失い、目が覚めたら病院の集中治療室にいた。「二度とベッドから起き上がれない」と医師から宣告されたが、4度の手術と約1年間のリハビリを頑張り、車椅子に乗るところまで回復した。しかし、現在も胸から下の感覚は無い。自力では寝返りもできないため、日々支えてくれる久仁子さんの存在は大きい。「妻には感謝している。2人とも強くなった。絆も深まった」と話す。

 リハビリ治療を受ける中で、障害者の就労の難しさなどの現実を知った。この時に、「障害者雇用をライフワークにしよう」と決意。45歳の時に社会福祉法人「アクティブ鈴鹿」を立ち上げた現在レグルスでは14人アクティブ鈴鹿では59人の障害者を雇用している。

 「個々に応じた働き方をすることで能力を発揮できる」と話し、「今では身体的な障害だけでなく、外国人や高齢者、出産や介護などそれぞれの持つ事情を『障害』と捉えるようになった。どんな人でも思い切り働ける会社にしたい」と熱く語る。自身の障害と真剣に向き合い、前向きに乗り越える生き方の中に、強さがある。

略歴:昭和45年生まれ。石川県出身。平成16年ライフステージ設立、代表取締役就任。