県伝統工芸品に新風 父の言葉で家業と向き合う 稲藤代表取締役 稲垣嘉英さん

「ラッキーナンバーは4」と話す稲垣代表取締役=四日市市日永4丁目の稲藤で

 四日市市日永4丁目に本社を持つ稲藤は明治14年に創業した。市内で唯一となる県指定伝統工芸品「日永うちわ」の製造販売をはじめ、贈答品やPR商品を取り扱う。

 創業133年目を迎える老舗の4代目。待望の長男として生まれた。周囲からの期待は大きく、逆に「親の敷いたレールの上を走るのはとんでもない」との思いが子どもの頃から強かった。

 幼少期から病気がちで体が弱かったが、手先は器用で、よくプラモデル作りをして遊んだ。物の仕組みや構造に興味があり、将来の夢はエンジニアに。「空気清浄機を分解し、使いやすいように細工したこともある」と笑う。お城も好きで、「攻めにくい城の設計図を自分で考えて描くのが楽しかった」と振り返る。

 高2の冬に持病のぜんそくの悪化に伴う長期入院がきっかけで、エンジニアへの夢を諦め、家業を継ぐ決意をした。大学では経営学を学び、卒業後はカレンダー問屋で2年間修業をした。

 24歳で稲藤に入社したが、自身の中には「自分で一旗揚げたい」との思いが常にあった。25歳の時に「これからは個人ギフトが伸びる」と、親を説き伏せ、ギフト販売の「シャディ」と提携し、自身はギフト業に専念して事業の拡大を図った。

 39歳で社長に就任後は「地域1番店になること」を目標に、売り場面積を広げ、スタッフの充実を図り、異業種交流の勉強会に参加するなど努力を惜しまなかった。勉強会で学んだ「商売は損得よりも善悪」との考え方は今も生きている。

 3年前に亡くなった父親の藤夫さんが、最後に残した言葉「日永うちわの伝統を絶やすな。守り続けろ」をきっかけに、初めて日永うちわと向き合った。「もう自分しかいない」との思いが責任感に結び付いた。

 うちわ作りは両親や5歳年下の妻、和美さんに任せっぱなしだった。もともと「ものづくり」が好きで、アイデアも豊富なところを生かし、「香るうちわ」など新作うちわの開発に一役買うようになった。

 好きなことには一直線で、凝り性。「とことん突き詰めていくタイプ」。忙しい合間を縫って城巡りやスキーなど自分の時間を満喫している。「嫌なことはすぐに忘れるから、ストレスはない」という。

 「4月4日生まれ」「四日市市生まれ」「4代目」。自身の中では、4がラッキーナンバー。「割とみんなは嫌がる数字だけど」と楽しそうだった。

略歴:昭和32年生まれ。四日市市出身。57年稲藤入社、平成8年代表取締役就任。県ギフト小売業組合専務理事。