環境に優しい商品を 地域発展への貢献も 「中央建設」社長 長谷川恭裕さん

「人材育成に力を注ぎ、地域貢献につなげていきたい」と語る長谷川さん=四日市市西坂部町の「中央建設」で

 四日市市西坂部町の中央建設は、昭和27年、土木、石工、舗装工事会社として同市尾上町で創業。再来年、65周年を迎える。平成225年、会長に退いた父員典さん(67)を継いで、4代目社長に就任した。

 現在は、東海3県を中心に、河川、道路、公園などの公共施設整備や宅地造成、橋の改修、ソーラーパネルの販売などを手掛けている。名古屋駅前のミッドランドスクエアやJRツインタワーなどの高層ビル、第2東名や第2名神高速道路、屋内スポーツ施設建設などに携わり、5年後の東京オリンピック開催に向けて事業拡大を図っている。

 鈴鹿市南堀江町で、2人兄弟の長男として生まれた。箕田小時代の6年間はソフトボール、大木中では軟式野球に打ち込んだ。プロ野球選手を目指して、名門明野高校に進学。2年生の春の甲子園大会ではショートで出場し、シングルヒット2本を打った。「あこがれの甲子園で校歌は歌えなかったが、忘れられない思い出」と懐かしむ。

 高校卒業時は、各プロ野球球団からドラフト候補に挙げられていたが「大学でじっくりと腕を磨いてから」と、スポーツ推薦で東京の国士舘大に進んだ。1年の春、東都大学リーグの開幕戦を完封勝利で飾り、華々しいデビューを果たした。だがその直後、右肘を痛めて手術を余儀なくされた。内野手として復帰したが、4年になるまで試合出場はなかった。「人生初の挫折を味わったことで、出場選手を支えてくれていた裏方の大変さを知り、思いやりの心を学んだ」と話す。

 卒業後は浜松市の楽器メーカーに就職して、3年間、社会人野球チームの野手として都市対抗試合や日本選手権大会に出場した。「節目、節目で素晴らしい指導者や先輩、仲間に恵まれたことが、野球に打ち込んだ20年間の宝です」と振り返る。

 その後、大手建設機械製造販売会社で営業経験を積み、33歳で中央建設に入社。コンクリート打設や圧送の現場作業から業務全般を研修、大手ゼネコン各社を訪問して、自社技術をPRする営業活動を担当してきた。42歳の時「お前に任せる」と、父から突然告げられた。「偉大な父を超えられなくても、全力で自分のカラーを打ち出そう」と心に誓った。

 「CHUO(中央)」の4文字から、挑戦(Challenge)・誠実(Honesty)・有用性(Utility)・独創性(Originality)を経営理念に掲げた。「環境に優しく、高品質で高付加価値の製品・サービスの提供とともに、それぞれが自主性を発揮できる職場環境づくりを目指したい」と、社員70人に思いを語った。

 休日の楽しみは、野球好きの仲間とつくる草野球チームの試合。妻亮子さん(43)と高3、中2の娘たちが手作りのお弁当持参で応援に来てくれる。「パパ、頑張れ」の声援が、仕事への活力になる。

 オリンピックに向けて業界全体は上昇傾向にあるが、将来、どんな状況になっても落ち着いて対応していきたいと思う。「若者がこの業種を選んでくれるよう、魅力をアピールして人材育成に力を注ぎ、地域貢献につなげていきたい」と目を輝かせた。

略歴:昭和46年生まれ。平成5年国士舘大政経学部卒業。同27年東海地区コンクリート圧送有限責任事業組合理事(理事長代行)就任。同年全国コンクリート圧送事業団体連合会経営委員会委員。