現場での経験生きる 経営理念は一対一で説明 九鬼産業代表取締役会長 九鬼紋七さん

「心理学を通じて人生が豊かになった」と話す九鬼会長=四日市市中納屋町の九鬼産業本社事務所で

 四日市市中納屋町に本社事務所を置く九鬼産業は明治19年に創業した。ごま製品の製造、販売を中心に事業展開し、東京支店のほか、大阪や名古屋、仙台、福岡に営業所を持つ。

 「九鬼家」は戦国武士の血を受け継ぐ名門の一族だが、名家の長男としての重圧は「特に感じたことがなかった」。「跡を継ぐことが自分の使命」と、いつの頃からか自然に、自分の立場を自覚していた。

 父親が四日市ぜんそくを患い、2歳の時に家族で東京に引っ越した。「小さい頃は、牛乳瓶のふたでメンコをしたり、ドングリを集めておはじきみたいにして遊ぶのが楽しかった」と懐かしそうに振り返る。縄跳びもうまく、「4重跳びもできた」と得意そうな笑顔を見せる。

 高校から大学時代にかけて剣道部に所属し、仲間たちと厳しい練習を乗り越えてきた。3段の腕前を持つ実力派。寒い日も暑い日も、共に過ごした仲間たちとの日々は懐かしい思い出の一つ。

 慶應義塾で幼稚舎から大学まで一貫教育だったので、剣道部の仲間や小学生時代の幼なじみとは今でもフェイスブックなどで交流を続けている。

 大学卒業後は「数字に明るくなってほしい」という父親の希望から簿記の専門学校に入学。日商簿記1級の資格を取得してから九鬼産業に入社した。

 入社後は工場で深夜勤務も経験した。開発部で商品開発に携わった時には店頭で試食を勧めた。それぞれの現場で生の声を聞いてきた経験が今に生きる。

 社長に就任後、自身が初めて経営理念をつくった。「この思いを本当に伝えたい」と、社員全員の前で発表するのではなく、一対一で向き合い、1人ずつに説明した。「今は、社員が生き生きと働く状態をつくることが自分の役割」と話す。

 約4年前、父親の三回忌の時に、九鬼家の当主として「紋七」の名を襲名した。

 趣味は3、4年前から始めた手品。マジック教室に通って覚えたレパートリーは約50種類ある。パーティーなどのイベント時に披露する機会も多く、「みんな楽しみにしてくれる」とさらなる技の習得に意欲を見せる。

 「社員のことをもっと知ろう」とコーチングを学び始めたことがきっかけで、最近は心理学にも興味を持ち始めた。週末は関連する勉強会に参加することが多く、学びを通じた交流も広がってきた。

 「素直な自分が出せるようになり、楽になった。人生も豊かになった。今後は、学んだ成果を他の人にも発信していきたい」と穏やかにほほ笑んだ。

略歴:昭和30年生まれ。四日市市出身。56年九鬼産業入社、平成10年代表取締役社長就任、19年代表取締役会長就任。26年四日市市産業功労者賞受賞。現東海地区植物検疫協会三重支部長など。