小さな市場で1番を 小回り利かせ、大手に対抗 三電工業社長 佐藤正憲さん

「小さな市場での1番を目指す」と話す佐藤さん=いなべ市藤原町の三電工業で

 いなべ市藤原町の三電工業は、昭和51年、父正人さん(76)が伯父と共同経営していた三電機からモーター部門を分離して、工業用モーターの販売、修理を専門に手掛ける企業として創業。平成16年、会長職に就いた父を継いで、36歳で2代目に就任した。

 いなべ市で2人兄妹の長男として生まれた。幼少時はおとなしい性格だった自分とは反対に、クラス委員や部活のリーダーを務めていた快活な妹久美子さんがまぶしかった。進学した員弁高校では吹奏楽部に入り、金管楽器のユーフォニュウムを担当した。部員約60人で1つの音楽をつくり上げる楽しさを教わった。

 3年の時、日本武道館で開かれたマーチングバンド全国大会に、中部地区代表として出場した。「大舞台で発表できる喜びと感動は何にも代えがたい体験でした」と振り返る。仲間と心を1つに目標に向かうチームワークの大切さを学び、それらは仕事の上でも役立っている。

 名古屋市の情報処理専門学校に進み、生産学部で学ぶ傍ら、社会人マーチングバンドに所属。2年後、再び全国大会出場を果たした。「生涯に2度も武道館で演技ができる幸運に恵まれ、一生の宝になった」と話す。

 就職は父の勧めもあって、名古屋市の電気機器メーカー明電舎に入社。バブル景気で繁忙期のただ中、父から「戻って手伝ってほしい」と頼まれ、わずか1年で退社。三電工業に入社して、製造、品質管理部門を中心に無我夢中で働いた。

 その後、バブルがはじけ仕事量が減り始めた。大手メーカーが製造部門を中国に移す流れが加速し、コスト面では勝てないと判断。中小企業ならではの小回りがきく仕事を模索した。多品種で受注量がわずかでも手間を惜しまず、短い納期に間に合わせることで、大手の自動化による大量生産への対抗策を打ち出し、小さな市場での1番を目指した。

 人生の転機は、2代目就任後の取引会社社長との出会いだった。経営者の心得を教わり、中小企業家同友会を紹介してくれた。「経営の初歩から学び、仲間ができたこともうれしかった」と話す。教わった中から心に響いた「良い社風をつくり、自社の企業価値を上げることが従業員の幸せにつながる」を座右の銘とした。

 リーマン・ショック以後は、「設備投資にお金をかけられない」「修理で対応したい」という相談が増え、修理に加えて中古品の販売を呼び掛けるホームページを開設した。ベテラン職人らの丁寧な仕事を評価してくれる顧客の口コミもあり、半年ほどで全国各地から依頼がくるようになった。

 名古屋市の大学に通う1人息子には「会社を継いでくれとは言わない。自由に、好きな道に進んでもらいたい」と考えている。「誠実をモットーに、電気機械器具のものづくりを通じて、社会に貢献していきます」と、目を輝かせた。

略歴:昭和43年生まれ。同61年県立員弁高校卒業。平成元年コンピューター総合学園HAL生産学部卒業。同17年中小企業家同友会入会。