取りあえずやってみる 「無理、できない」でなく努力を 山路工業社長 山路真一郎さん

「世界に通用するような会社にしたい」と話す山路社長=四日市市新正4丁目の山路工業で

 四日市市新正4丁目の山路工業は、デジタル化した情報を使った印刷全般のほか、マイクロフィルム電子化、官公庁提出用各種製本などの事業を展開している。昭和29年、祖父の多一郎さんが創業した。現在3代目。

 「小さい頃から祖父に『ゆくゆくは会社を背負っていくように』と言われて育った。それを素直に受け入れて、いずれは自分が跡を継ぐと思っていた」と振り返る。

 小学校から高校まで市内の私立暁学園で過ごした。「充実した友人関係が築けたことは、財産のひとつ」と、長年同じ時を過ごした友人たちとは、今も交流が続く。

 一人暮らしや都会への憧れから、高校卒業後は上智大学経済学部へ進学。3、4年のゼミで「ITを活用した企業の効率化」について学んだことがきっかけで、「ITを使って世の中を便利にできる企業で働きたい」との思いを強めるようになった。

 大学卒業後は通信関係の一般企業に就職。いずれ実家に戻るつもりだったため、携帯電話を使った情報配信ビジネス企画立案など一通り経験し、5年で退社した。

 「じいちゃんがつくって、父が大きくした会社。自分が今まで学んだことを使って恩返ししたい」と、山路工業に入社したのは27歳の時だった。

 入社後は現場で技術を学んだり、営業で顧客対応をしながら、自然な流れで30歳の時に、父親の真敏さん(64)と社長を交代した。「肩書きがスライドするだけ。特に不安はなかった」

 よく考えてじっくり練ってから行動する慎重派だったが、社長就任後は「『何でもいいから取りあえずやってみよう』という姿勢が時には大切で、中小企業に求められることに気が付いて」と話す。

 営業スタイルを、こちらから企画を提案して相手のニーズを引き出すやり方に変えたり、ITシステムを取り入れて情報を社員で共有できるような仕組みにするなど、改革に取り組んできた。

 尊敬するのはソフトバンクの孫正義社長。「有言実行で、夢とビジョンを語る力に憧れる」と話し、「いつかは自分も、世界に通用するような会社にしたい」と熱く語る。

 「思えば通じる」。これまで大きな挫折を経験することなくここまで来た。「無理とかできないという言葉が嫌い。できるためにどれだけのことができるか」と努力家の一面ものぞかせる。「頑張ればできる」という思いが、自身の自信につながってきた。

 「嫌なことは寝て忘れる。悩むと人生がもったいない」と朗らかな笑顔を見せた。

略歴:昭和55年生まれ。四日市市出身。平成19年山路工業入社、同22年社長就任。NPO法人ITC三重理事、四日市商工会議所青年部副会長、よっかいちフィルムコミッション事務局長など。