創業50周年、支えに感謝 一層の顧客満足と社員の幸せを 石油製品・工業薬品・各種保険総合商社「細川商事」社長 細川豊公さん

「より一層の顧客満足と社員の幸せを目指したい」と話す細川さん=四日市市高砂町で

 細川商事は昭和41年、祖父の故英一氏が石油・ガス製品、化学工業薬品の卸売業として四日市市高砂町で創業し、今年6月に50周年を迎えた。現在は損保・生保代理店、建設資材、環境対策商品などを取り扱う総合商社として、地元四日市コンビナートを中心に、事業を拡大している。

 静岡県で1人息子として生まれた。日本道路公団のエンジニアだった父毅さん(72)の仕事の都合で、小・中9年間で5回の転校を経験した。野球好きの父の影響で、小1から野球をやっていたことで、行く先々の地元チームで仲間ができ、新しい環境にもすぐになじむことができた。

 東京の玉川学園高等部から、玉川大学工学部経営工学科に進んだ。学生時代に人生初の自炊生活を体験し、母親のありがたさを実感した。勉学の傍ら、友人に教わったサーフィンの楽しさにはまって湘南の海に通ったり、高等部からの仲間と草野球を楽しんだりした。「多くの友人との交流で、学問以外にも多くを学んだ」と振り返る。

 父から会社を継いでくれと言われたことはなく、自分でも意識したことがなかったため、卒業後は学校推薦もあり、OBが多く働く千葉県船橋市のアルミニウム総合メーカー「日本軽金属」に入社した。北海道から大阪までの5工場で新人研修を受けた後、生産管理から営業までを経験してきた。「モノを作ること」と「モノを売ること」両方の楽しさ、難しさを実感した。

 35歳の時、創業から祖父を支え、2代目となっていた故青山昭夫会長から「そろそろ戻って、お父さんを支えてほしい」と再三の打診があった。日本道路公団を退社して、3代目を継いだ父の1人息子でもあり、「祖父が興した事業を引き継ぐのは自分しかいない」と一大決心をして、実家に戻った。

 細川商事に入社後は、ベテラン社員の指導で経理を学び、前職で培った「モノを売る前に、自分を売れ。誠心誠意、相手の立場に立って行動することで信頼を得る」という営業の精神と、学生時代の人脈を生かして新規の顧客を増やしてきた。

 一昨年、会長職に退いた父を継いで、社長に就任した。「和をもって尊しとなす」という祖父の精神と、父に教わった「人との出会いが宝。信頼される堅実な企業づくりを第一に、お客さまとともに繁栄していくこと」を社訓として継承していくことを、社員13人に宣言した。

 仕事と商工会議所青年部理事を務める多忙な中、妻さや香さん(40)と3歳の長男、4カ月の長女と過ごすひとときが疲れを癒やしてくれる。「パパ、これ買って」と、おねだりが上手になった長男の成長ぶりがうれしくて、「ついつい財布のひもがゆるみ、妻にたしなめられることもある」と、子煩悩な一面をのぞかせる。

 節目の50周年を迎えられたことは、取引先の支援と社員の努力の賜物と感謝。「時代とともに変化するニーズを敏感に感じ取り、相手の期待に応えることが、情報社会の中で商社が生き残っていく道だと思う。より一層の顧客満足と社員の幸せを目指したい」と意欲を見せた。

略歴:昭和43年静岡県で生まれる。平成3年玉川大学工学部経営工学科卒業。同年日本軽金属入社。同16年細川商事入社。同25年四日市商工会議所青年部理事就任。同26年細川商事社長就任。同27年―28年東海ブロック商工会議所青年部専務理事。