─「品質は命 社員は宝」─ 「大安製作所」社長  藤田和也さん

いなべ市大安町の「大安製作所」は、父博さん(83)が勤務していた金属部品加工会社から独立して昭和63年に創業した。家庭用ビデオカメラやビデオデッキ、パソコンなどの精密部品から、自動車部品に特化した精密部品製造へと時代のニーズに沿って移行してきた。

平成23年、会長に退いた父から「品質は命なり 社員は宝なり」の理念とともに経営を引き継いだ。社員52人と心を一つにして、1ミクロン(1000分の1ミリ)サイズの寸法管理と完璧な仕上げを徹底している。

同29年には、自動車部品の増産のため、4棟だった工場棟を1棟増設し、国内だけでなく海外にも販路を拡大して業績を伸ばしている。自動車部品主力納入企業から平成18、19年と28年の計3回「優秀仕入先表彰品質賞」を受賞している。

長引くコロナ禍で、感染の不安を少しでも軽減してもらおうと昨年、入手が困難だった抗原検査キットを社員とその家族全員に配布した。「風邪の症状が出て心配したが、陰性で安心できた」などと喜ばれている。

桑名市で3人きょうだいの長男として生まれた。7歳から母の友人にピアノを習い始めた。厳しいレッスンにめげそうになりながらも、しっかり練習していくと褒めてもらえるのがうれしくて練習に励み、どんどん音楽の楽しさに魅せられていった。

中学では迷わず吹奏楽部に入り、チューバを担当。卒業前のコンサート直前に指揮者担当の顧問が亡くなり、急きょ指揮者を任された。それをきっかけに、進学した高校の吹奏楽部でも指揮者を務め、3年生の時に県大会に出場し、メンバーと共にイメージ通りに曲をまとめ上げることができ優勝を果たした。

将来は音大に進学してプロの指揮者を目指そうと夢見た時期もあったが、音楽は趣味として生涯関わっていくことにし、家業を継ぐ決意を固めて工業系大学に進学した。吹奏楽部がなく悩んでいた時、市民吹奏楽団結団式の新聞記事を目にし、すぐに連絡をして指揮者兼チューバ奏者として入団、週1回の練習に加わった。機械工学科の勉学の傍ら、近隣の中・高吹奏楽部からの依頼で指導にも出掛けるようになった。

卒業後は地元の金属加工会社に就職して2年間、機械部品の製造、検査、生産管理などに携わり、「大安製作所」に入社した。製造過程や工程管理全般を先輩社員から学び、取引先へのあいさつ回りなどを通して営業のノウハウを父から直接学んだ。

広い視野を持って目標を定める性格の父が何を求めているのかを推察して、今ある機械を改造したり、より高精度の機械の導入を提案したりしながら検査の自動化やコストダウンなどで業務の合理化を推進した。父の友人から「君の活躍ぶりをいつも自慢しているよ」と伝えられ、無口で面と向かって褒めてくれたことのない父が認めてくれていたのかと、胸が熱くなった。

社長就任後、医療機器部品の加工依頼があった。初めて扱う難削材に苦戦し、熟練職人の社員らと何としても物にしてやるぞという信念で試行錯誤を重ね、半年後にようやく完成させた。納期限をはるかに越えていたが、他社にはできなかった加工に取り組んでくれたと担当者に感謝され、受注数は年々伸びてきている。

18年前から愛知県の市民吹奏楽団の指揮者を務めており、月に2回、約40人の団員と共に練習に励んでいる。「音楽は聴く人、演奏する人双方に感動と喜びを与えてくれる。音楽活動は私の魂のオアシス。コロナ終息を待って、縮小している活動を再開したい」と話す。

ガソリン車から電気自動車(EV)へのシフトに伴って、ここ数年自動車部品の受注が減少傾向にある。「減少分を補うために3Dプリンター用の部品製造やオーダーメードの成型品販売など、新たな分野への参入を計画している。数年後には大きくかじを切らなければならないだろう」と語った。

略歴: 昭和37年生まれ。同59年金沢大学機械工学科卒業。同年「金属加工会社」入社。同63年「大安製作所」入社。平成23年「大安製作所」社長就任。