「できる、必ずできる」 39歳で企業、常に前向き フジケンホーム代表取締役 藤原英雄さん

好きな言葉は「できる、できる、必ずできる」と話す藤原代表取締役=四日市市ときわ2丁目のフジケンホームで

 四日市市ときわ2丁目の建築不動産業「フジケンホーム」は、一般住宅ハウスメーカーとして、北勢地区中心に事業展開している。

 京都市出身。「早産で、7カ月で生まれたから、小学3年生くらいまでは体が弱くて学校も休みがちだった」と幼少期を思い返す。5年生ごろから少しずつ体力も付き始めた。「友達と川や山で遊ぶのが楽しかった」と屈託ない。

 高校、大学時代は太秦映画村が近くにあるので、エキストラのアルバイトで20―30本、「出演」した。海外への憧れが強く、大学在学中に渡米し、バスを乗り継ぎ、各地を旅した。「自由で明るい感じが魅力。伸び伸びできる」と話す。5歳年上の妻、明美さんとも渡米中に知り合った。

 卒業後は海外勤務を夢見て貿易商社に入社したが、国内勤務が続き、3年ほどで退職。「サラリーマンに向いていないと気が付いた」。25歳で結婚し、退職後は妻の実家の松阪市へ移り、心機一転、古紙回収業を始めた。早朝は市場、夜は家庭教師のバイトで多忙を極めた。「大変だったが、振り返ってみれば人生で一番いろんなことを学んだ時期だった」

 31歳の時、「もう一度サラリーマンをしてみよう」と不動産会社に入社した。実力主義の会社で、厳しい面もあったが、「一生懸命やれば何とかなる」と、たちまち営業成績を伸ばした。ノウハウを身に付け、39歳で独立を決めた。

 縁もゆかりもない四日市市での起業。「いろんな人に助けられてここまで来た」と振り返る。中でも、東洋電機(四日市市浜田町)の竹内稔社長には、「弟のようにかわいがってもらった。起業したばかりで、経営について分からないことをよく教えてもらった」と感謝する。

 好きな言葉は、「できる、できる、必ずできる」。何かを始めるときの口癖。「自分ができると思ったことはできる。できると思うことが大切」と話し、「仕事でつらいと思ったことはない。新しいことを始めるときは、わくわくする」と常に前向きな姿勢で前進してきた。

 今年5月には、いずれ後継者となる長男の雄太朗さん(34)が入社し、少し精神的な余裕も出てきた。「自分の働く後ろ姿から、いろいろ学んでいってくれれば」と期待。「これまでの感謝の気持ちを込めて、人づくりやまちづくりに取り組みたい」と語った。

略歴:昭和29年生まれ。京都市右京区出身。平成5年フジケンホーム設立、代表取締役就任、日創研三重北経営研究会副会長。