―「美を追究し、不可能を可能に」― 金属製品製造「服部」社長 服部俊一さん

四日市市楠町の金属製品製造業「服部」は、父の故俊雄さんが昭和38年に創業した「服部板金」が前身。町内を中心に、雨どいや外壁などの建築板金工事に携わってきた。同59年、法人化に伴って社名を株式会社「服部」と改め、それを機に社会貢献活動に専念するようになった父から経営を引き継いだ。

その後は高精度のプレス機器やレーザー加工機、レーザー溶接機などのハイテク機器を次々と導入し、生産システムを高度化。「美を追究し、不可能を可能に」をモットーに、大手建設用金属製品総合メーカー協力会社として、地震時に建造物へのダメージを軽減する免震構造の建築用金物の製造を主に手掛けるようになり、業績を伸ばしている。

楠町で3人きょうだいの長男として生まれた。幼少時は病弱で小2の時に結核、小4で小児リウマチを発症した。静養や通院の日々だったが、中学生になった頃からはうそのように元気になり、剣道やバレーボールに打ち込み、校内マラソンでも優秀な成績を残した。

中3の時、父が「服部板金」を起業した。ものづくりをする父親の姿が男らしく映り、自分も職人になろうと決めた。卒業後、津市の職業訓練所板金工科に入り、学科と実技を1年間学び、四日市市の建築板金会社で1年修行後、17歳から家業を手伝い始めた。効率アップやコスト削減のための機器導入などの提案に、父は「やってみろ」と賛成してくれた。同じ道を志した2歳下の弟も訓練所を修了後家業に入り、親子3人で仕事に励み、受注増に伴って社員も増やした。

20年ほど前から、免震製品を手がけるようになりステンレスやスチール、アルミなどの超微細加工が可能な最新レーザー加工機の導入を決断。それまで困難だったアーチ型屋根材や社名の銘板などの美しい仕上がりが同業者らを驚かせ、県内3台目だったこともあり各地から多くの見学者が訪れた。業界紙でも紹介され、鋼板メーカーや商社から問い合わせや注文が殺到し、飛躍的に売り上げを伸ばした。

コロナ禍で回数は減っているが、年に数回は10人の社員とその家族を交えて食事会や日帰り旅行をしている。服部ファミリーとして社員1人1人が仕事に関する要望や改善点を発言しやすい環境を作り、コミュニケーションを深め合っている。

母かずゑさん(96)と次男(47)の3人暮らし。「家事は全て母任せ。高齢の母が元気でいてくれることが何よりありがたい。母の手料理が元気の源、中でも煮物は絶品」と話す。

趣味は演歌。昭和37年にデビューした北島三郎の歌声に中学生ながら魅了された。卒業後、知人の紹介で本人に会う機会があり、その気さくな人柄にもほれ込み、後援会に入った。以来、仕事の傍ら全国各地で開かれる公演には欠かさず応援に出掛けている。東京中野区の自宅に招かれて「さぶちゃん」「服部くん」と呼び合うほど親交を深めている。「芸道60周年を迎えたさぶちゃんは今なお憧れの存在。生きる力と仕事へのエネルギーをもらい続けている」と話す。

「公共の建物はもちろん、企業ビルや一般住宅にも免震構造は不可欠となっている。自信と誇りを持って製品を提供し、社会に貢献していきたい」と意気込みを語り、「いつか仕事を後継者に託した後は、自分へのご褒美に、足の向くまま気の向くままのんびりと日本の原風景が残る地を旅したい」と笑顔を見せた。

略歴: 昭和23年生まれ。同39年楠町立楠中学校卒業。同40年津職業訓練所修了。同年四日市市の板金業に入社。同41年「服部板金」入社。同年楠町商工会青年部入会。同年楠町消防団入団。同59年「服部」社長就任。