-信頼関係何より大切 フル・イージー併売、競合店と差別化- 「サルトリア」代表 伊藤正巳さん

【「夏場のネクタイ離れ対策として斬新なネクタイの企画、開発も進めている」と話す伊藤さん=四日市市北浜町で】

 四日市市北浜町の「サルトリア」は、伊勢市の呉服屋の4男だった祖父の故時次郎さんが洋服の仕立て技術を独学で習得し、大正13年に開業した紳士服専門店「伊藤洋服店」が前身。確かな技術が評判になり、注文に訪れる顧客が増え業績を伸ばした。

 各地から、仕立て技術を学ぶため集まった職人ら30人余が住み込みで修業するようになった。2代目は父の故寿朗さん、3代目の兄修さん(70)から平成13年に代表を引き継いだ。戦後、「伊藤洋服店」から「テーラーイトウ」としていた店名を、仕立屋の意の伊語「サルトリア」として、フルオーダーに加えイージーオーダーも手掛けるようになった。

 常連客とは、トレンドや互いの趣味の話題を交えながら、今回の希望を聞いて仕立てる。新規の来店客からは、普段の仕事用スーツか特別な場で着る勝負スーツなのかの用途を聞き、柄物や無地などから好みの生地を選んでもらう。採寸でしっかりと体型を把握し、約1カ月かけて丁寧に仕立て上げる。

 カシミアコートを手掛けた常連客から「出張先の接待の席で上品なコートですねと褒められた」、顧客の依頼で既製品が合わない子息のために仕立てたスーツは「周囲からかっこいいと言われるそうだ」と喜ばれ、仕立てはやりがいのある仕事だと実感している。「買うならサルトリアで」と言ってもらえるよう、顧客との信頼関係を何より大切に考えている。

 四日市で2人兄弟の次男として生まれた。祖母と両親、兄の家族5人と住み込みの職人約30人の大所帯だった。幼少時は、職人さんたちにマー坊と呼ばれてかわいがられた。休日は、野球好きの職人さんの練習や対抗試合を見るのが大好きだった。顧客だった中日ドラゴンズの選手が指導に来ることもあった。

 高校卒業後は、先に家業に入った6歳上の兄や先輩職人らの縫製技術を見ながら覚え、人様の物を縫うのだからと細部まで厳しいチェックを受けながら腕を磨いた。当時、兄以外の職人は60代が中心で、家業の将来に不安を感じるようになった。需要が減少する注文紳士服に比べ、大きな可能性を秘めた婦人服業界に着目して名古屋モード学園に入学した。

 デザイン学科を修了後、東京のアパレルメーカー「ハリウッドクラブ」に入社し、商品企画に携わった。5年後、教員として招かれた東京モード学園に転職してファッション企画学部やコーディネーター学部などで教えるようになった。華やかなファッション界で働き、忙しくも充実した日々だった。

 母久子さん(91)から「家業に戻ってきて」との連絡を受け、都会での9年間の教員生活を辞めて帰郷した。父と兄の下で家業の手伝いを始め、職人気質の2人に代わり、顧客管理や商品管理にコンピューターを導入して厳しくなりつつある事業内容を把握。フルオーダーだけでは今後、経営が困難になると判断し、比較的安価なイージーオーダーの併売を提案した。

 在庫の生地を減らすため低価格のイージーオーダーに力を注いで新規客を増やすことに成功し、業績を飛躍的に伸ばした。また、企業の制服も手掛けるようになった。

 数年後、紳士服業界の価格競争が始まった時には、反対にグレードを高めて適正価格を維持することで競合店との差別化を図り乗り切ってきた。

 長女と長男は独立しており、現在は母と妻、大学生の次男に加え愛犬モコと暮らしている。子どもたちが幼い頃から毎年、夏休みには海浜キャンプに出掛けている。マリンスポーツやバーベキューを楽しむ時計なしの休暇で、家族の絆も深まり、身も心もリフレッシュできる。「昨年はコロナで見合わせたが、今年は行けるかな」と期待している。

 「コロナ禍での需要の低迷を盛り返すべく、新しい試みとして昨秋からインスタグラムで店紹介広告の発信を始め、販路の拡大を目指している。また、夏場のネクタイ離れ対策として斬新なネクタイの企画、開発も進めている」と語った。

略歴: 昭和31年生まれ。同53年名古屋モード学園卒業。同年「ハリウッドクラブ」入社。同58年「東京モード学園」入社。平成4年「テーラーイトウ」入社。同12年「サルトリア」に社名変更後、代表に就任。同26年中央地区社会福祉協会理事。同28年三滝ライオンズクラブ入会。