’03 「宮崎正義の築いたシステム」

 三重県民の皆さま、新年おめでとうございます。
本年1月17日をもって弊社は125周年を迎えます。これもひとえに皆さまのおかげでございます。あつく御礼申し上げます。

 昨年に引き続き、本年も「改革と景気回復」のせめぎ合いの一年となることは間違いないでしょう。
改革と抵抗勢力、構造改革が先か景気回復が先かという二元論はさておいて、現代日本の成り立ちを年初に当たって述べさせてください。

■ 日本型社会主義を設計した男―実現してしまったユートピア

 「日本はマルクスもびっくりの理想的な社会主義国さ」という声が近年よくあちこちで聞こえてきます。
それに対する私の応答は以下のごときものです。

「しかも、ソ連も中国も社会主義をやめたのにまだやっている唯一の大国ですね」「ところで誰が設計したのですか」「誰がつくったって。うーん。自然にそうなったのでしょ」「家を一軒建てるのでさえ、設計図がなかったら延べ数百人の職人が出入りする建築現場は大混乱します。終戦時、約6000万人はいた日本国の建設現場が、設計図なしで再建運営できたのでしょうか」「そういえばそうだな。で、いたの、そんな人が」

 「金沢の貧乏士族の三男であった俊才、宮崎正義は県の官費留学生としてペテルスブルグ大学留学中にロシア革命に遭遇しました。革命とその後のソビエト経済の運営をつぶさに見て調査し、資料を持ち帰った彼は帰国後、満鉄調査部に入りました。満鉄調査部でもソ連経済・ソ連情勢を一貫して研究した彼は、計画経済、統制経済の分野の第一人者となります。
ある時関東軍に依頼されて、ソ連情勢・ソ連経済の講演を将校に行った時知り合い、肝胆相照らす仲となったのが、年上の関東軍参謀石原莞爾でした。

 軍事の国士と計画経済の国士の出会いです。日本国のために一身をささげるという共通の願いが2人の結束を強くします。
当時のソ連は計画経済の下に、驚異的なスピードで国力の増強を推し進めて成功していました。石原莞爾は当面はソ連の脅威に備えるために、また長期的には彼の所論である世界最終戦争に備えるために、経済力の充実が必須と考えます。しかし経済は軍人である石原のあずかり知らない世界であります。統制経済に詳しい宮崎を経済政策ブレーンに迎えて、官僚主導型の経済統制システムを立案させたのです。

■ 満州国建国へ

 満州国建国を企てやり遂げた原動力の一つは宮崎正義によるものです。「満州産業開発5ヵ年計画」も宮崎の手になるものです。宮崎によって立案された統制経済システムは満州国で具現化され、やがて日満経済をグローバルに包含するシステムとなりました。この統制経済システムをバックアップして推し進めた革新官僚たちがいました。岸信介、椎名悦三郎、植村甲午郎などです。軍部では後に東京裁判で死刑になった、板垣征四郎大将も大いに宮崎を買っていたようです。彼の刑死が、宮崎が戦後世に出られなかった原因の一つかもしれません。ちなみに、満州生まれの世界的指揮者小澤征爾の名前は板垣と石原から一字ずつもらっています。

 岸信介はこの統制経済システムを自らの武器として使い、満州国から帰国して商工省事務次官に就任すると、日本国に植え付けます。
商工省大臣であった自由経済主義者小林一三と大衝突して勝利した後(小林一三辞任、小林は革新官僚の岸をアカ官僚と呼んだ。昔も今も大臣より官僚の方が強いですね)、所有と経営の分離、資本家の権利の制限、直接金融から間接金融への移行、給与所得を源泉徴収税制度で天引きするシステム、食糧管理法等々、現在の国家社会主義の原点を完成させました。

 国民はみんな平等に貧しくなり、その分、国家・官僚・軍隊は強くなりました。近衛さんがかつて語ったように、戦前の右翼と左翼は同根なのですね。
敗戦後もそのシステムは継続します。GHQのリベラルなグループは後押しします。財閥解体、農地解放などが一例です。軍部はなくなり、政治家も替わりましたが、岸信介はじめ官僚組織は替わりませんでした。権力を維持し続け彼らの理想を追求し続けたのです。

 例えば日本が1950年代に行った製鉄と石炭に資金を注入していく政策を傾斜生産方式と呼んでいましたが、これはソビエトで行われていた計画経済を言い換えたものです。日本はその結果、60、70年代を通じて「世界で一番成功した社会主義経済国」と呼ばれるようになったわけです。宮崎正義がソビエト計画経済の長所・短所を研究した改良型社会主義ですから、本家の社会主義よりうまくいくのは当たり前です。日本人のお家芸である、「独創性はないが、模倣と改良は世界一うまい」特質が遺憾なく発揮されたのです。

 資本主義国の中では異常に官僚に権力が集中し、国民の所得と資産の平等化が進んだ国であります。また所得の再配分を強制的に実施できるいろいろな社会的メカニズムが組み込まれたシステムが張り巡らされ、日々改良されてきています(相続税対策に対する通達によるつぶし、ストックオプションに対するつぶし等等、傑出した富豪が絶対出ないようにされています)。一方ではこのシステムは強大な既得権益層を形成します。

 るる述べてきたこの社会主義的システムは、しょせん長続きするものではありません。人間の本性に背くものだからです。全員が全員を支えるわけですから、支えているふりをしてぶら下がっているものが増えてくると成り立ちませんし、永続性がありません。既得権益が肥大化し、それを守る巨大な官僚機構が貴族化し、システム全体の沈滞腐敗が始まるのです。1番目の実験国家・ソ連は崩壊します。2番目の実験国家・中国はさすがに「三国志」の国だけあって、皇帝毛沢東が死ぬとすぐにシステム大修正を行いました。日本だけは社会主義国唯一の例外で、異例に長い期間この国家社会主義を運営し続けてきました。改良型社会主義だっただけに寿命が長かったわけです。

 「日本は超大国らしい。その割にはおれたちの生活は優雅でないなあ。なんかおかしいな。まあいいか」という国民に支えられて。でも既得権益と官僚組織の肥大化でもはや限界です。

 改革に頑固に抵抗する、官僚に確固たる基盤を持つ巨大抵抗勢力と呼ばれるこのシステムが、実は一人の人間の立案によるという事実には驚くばかりです。お上に従う日本人の国民性がそれを受け入れたのも事実です。
和辻哲郎によれば「日本の町人根性に金儲け以外の観念が無かった」「エリートの方は、国内の安定、支配だけを考えていた」(『鎖国』による)という戦時中の軍部批判があります。

 緩慢なる衰退の道を歩んでいくか、急激なる改革を断行するか、緊迫する国際情勢もあいまって、激動の一年となることは必至です。いかなる大事が起ころうとも、社員一同心を合わせ、真実の報道にまい進する所存です。ご支援をお願いして新年のあいさつといたします。
(参考文献「『日本株式会社』を作った男」小林英夫著)