八頭の鮫(さめ)を17年間飼っていた県があります(2003.12.13~19)

 四日市市の書店シエトワ白楊は好きな店でよく訪れます。
この店でよく見かけるのが県会議員のI氏です。氏も読書家であるらしく激務の仲、書店の本棚の中を求める本を探して歩いています。
 何回目かの出会いのあるとき、「社長ちょっと時間をください。お茶でもー」と近くの喫茶店に入って聞かされたことは表題の件でした。

~ 憂鬱(ゆううつ)な鮫たち ~

 現在40歳台後半以上の方なら、一種懐かしさをこめて思い出す名前にソ連のミコヤン外相があるはずです。
毎年、寒いころに行われるサケ・マス漁業交渉のソ連側の立役者として、日本側に大きな譲歩を要求した、悪役の辣腕者(らつわんしゃ)でした。なぜか歴史からすっぽりと欠落したかの感がある昨今ですが。

 そのミコヤン外相のソ連があるとき何を思ったのか、日ソ友好親善の証として大量の鮫を日本政府に寄贈したのです。処置に困った農林水産省は、海のある県に分散してお下げ渡しになったのです。
四日市市の西北部、菰野町は栢森(かやのもり)にある県の水産試験場にその鮫たちを飼い続けているというのです。

 養殖してキャビアを取るという試みもむなしく、収益に結びつく一切の試みは失敗に終わり、(試みのために多くの人件費と費用が水の泡と消えたのは想像に難くありません)鮫君たちは余生を栢森の水槽で送っているそうです。
ここまで語ってくれたI議員は深いため息をつかれました。

~ 綱吉のことを犬公方というが、お鮫様という言葉も三重県にはあるよ ~

 「鮫は死なないんですか」
「それが死なないんだな、これが」

 「私はもうこんな事業はやめろと前から言っているのだが、県の職員は言を左右にして、飼うのを中止しないんですよ。」

 「何人ぐらいの県職員が試験場には勤務しているのですか。」

 「それが7人もいて、人件費だけで年に1億円かかっているのですよ。民間が不況で苦しんでいるのに。水温測ったり、餌やったりしているのが主な仕事じゃないかな。」

 「年に1億円ですか。これまでに17億円も人件費だけで使っているのですか。仕事が鮫に餌をやるだけではないにしても。」

 「社長のところの新聞で取り上げてくれないですか。」

 社内で検討した結果、取材することになりました。といいますのは職業柄、裏づけを必ず取る必要があるからです。議員さんの情報を一から洗いなおしていくのです。

 担当となったW記者は、取材中の他の案件が終わり次第、着手すると言明しました。

 その後もI議員とはくだんの書店で会いますが、記事にはなっていません。
私も業を煮やして、「いつになったら記事にしてくれるのですか。シエトワ白楊書店に行けなくなったじゃないですか。」と強く催促しました。その間に半年近くが経過していました。

 ついに動いてくれた主任記者は東京の農林水産省に出張取材しました。返ってきた答えは、
「えー、まだ飼ってる県があったのですか。」というものでした。

 ソ連という国も既に存在していませんでした。

~ シジフォスの神話か「奇妙な仕事」か「砂の女」か ~

 お鮫さまの件は伊勢新聞に2度記事として掲載され、予算編成時に県議会の委員会で議論されているとき、一度コラムで掲載されました。

 鮫の処遇は鳥羽水族館に引き取られることで片がつきました。なぜもっと早くにやらなかったのかと言う疑問は普通の人なら持つのではないでしょうか。

 I議員の指摘は正鵠(せいこく)を得ていたわけです。よく書店で出くわすことからもなかなかの読書家であることがうかがわれます。県議の中の尊敬できる先生の一人です。ところが、今度の地方選挙では苦戦したのですから、なんともはや、天道是か非かといいたくなります。

 最近この顛末を思い出していて、気がつきましたのは勤務していた県職員のことです。何の成果もあがらないとは信じたくないだろうが、事実であることが、毎日毎日薄皮のベールがはがれていくように判明してきたとき、人は何を考えるでしょう。

 自己弁明したり、開き直ったり、この職場に任命した上司を恨んだり、鮫を受け取ったお偉方をのろったり、一連の感情の激発が収まった後、どう行動するのでしょう。

~ 「死者の奢り」と「奇妙な仕事」 ~

 鮫と人間を比べるのもどうかとは思いますが、実話とフィクションということでお許しください。
アルコールで満たされた大型の古い水槽の中で死者たちは浮かんだり沈んだりしながら漂っていた。僕は新しくできた水槽に死体を移すバイトをする。そして、手違いによりその作業が無意味であったことを知る。

リストラするため、電話もない部屋に対象者を数人ほうり込んで外出もさせない、といった話を昨今聞くことがあります。真実か、誇張されているのかは定かではないですが。

 県職員は「もっと人間らしい仕事がしたい。」と抗議したのでしょうか。達成感のある仕事がしたいとか。

 安部公房作の傑作前衛小説「砂の女」の岡田英次扮する男性主人公が「この生活はこれはこれでよいのかも」と砂を掻き出し続けるように、お鮫様に餌をやり続けたのでしょうか。

 私はこの仕事に従事していた方たちの中から平成のシジフオスの神話が紡ぎだされることを期待するものです。

 まさか北川前知事が、就任当時の県職員を評しておっしゃっていたように「春の海、ひねもすのたりのたりかな」の17年ではなかったでしょうから。