不況と草原の輝きⅡ

  「不況と草原の輝き」なる拙文を昨年弊紙に掲載し、ホームページにおいても「社長室」のページに掲げました。この拙稿に望外の反響をいただき、また出典等のお問い合わせも多数いただきました。

  わざわざ封書でお手紙を下さり、「続きはもう掲載されたのか、見落としているのなら何日付で載ったのか教えてほしい」とお尋ねくださった方もおみえです。

  「この稿続く」と書いたばかりに「汗顔の至り」でありまして、ようやく続きをご笑覧していただける次第です。お問い合わせに答えながら文を進めさせてください。

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  1961年日本で封切られた映画「草原の輝き」は、同年に上映されたスペクタクル超大作「栄光への脱出」をしのぐ大ヒットとなりました。この作品でアカデミー脚本賞を獲得したウィリアム・インジはワーズワースの「Intimation  Ode」より題名を決めたといわれています。  再掲しますと、

「かつては目を眩(くら)ませし
光も消え去れり
草原の輝き
花の栄光
再び環(かえ)らずとも嘆くまじ
内に秘めたる力を見出すべし」
(何者もできない、時間を取り戻すことは。
草原の輝きのときを、花の満開のときを取り戻すことは。
でも私たちは悲しみに暮れてはならない。
その背後に残るものに強さを見つけよう)

  映画ではナタリー・ウッドが解釈して、「青春時代は、理想を掲げ前途に大きな希望を抱きがちなものだが」とまで言ったところで教室を飛び出しています。オカルト的な話で恐縮ではありますが、夏には怪談がつきものですのでお許しをいただきたい話があります。

  「スターはその出世作に終世、影響される。特に死に方まで」という思いでいるのは私だけでしょうか。
1981年11月29日午前7時、米国西海岸のサンタ・カタリナ島の沖の海上で赤いパーカーを着たナタリー・ウッドの水死体は発見されました(午前1時前にヨットから転落したと言われていました)。

  映画「草原の輝き」での入水シーンを思い浮かべた映画ファンは多かったのではないでしょうか。LA郡検死官トーマス・野口博士によると少しアルコールが入っていたようであります。「ヨット『スプレンダー号』の船尾に出てロープを解いてつないであったボートに乗り移ろうとした際、足を踏み外した」(ロサンゼルス・タイムス)「その時ヨットの中では、夫のロバート・ワグナーとクリストファー・ウォーケンが何事かをめぐって言い争っていた」と野口氏は付け加えています。

  ナタリー・ウッドは最初の夫ロバート・ワグナーと2度目の結婚をしたとき、このヨットを買い、映画「草原の輝き(SPLENDOR IN THE GRASS)」にちなみスプレンダー号と命名したそうです。彼女にとっても印象深い映画であったのでしょう。

  巨匠黒澤明監督の傑作「七人の侍」に出演された浪人役の方は、一人を除いてすべて鬼籍に入られました。

  監督は劇中、菊千代役を演じた三船敏郎の葬儀に、息子にメッセージを託して、「君の葬儀に出席できない(体の)自分が悔しくてならない」と語りかけました。黒澤久雄氏が号泣しながら代読したのをテレビでご覧になった皆さまは、監督の死が、旦夕に迫っているのを悟ったことと思います。

  「七人の侍」のなかで真っ先に戦闘死したのが平八役の千秋実でした。そして監督をはじめ皆さんが亡くなっていく中、生存している七人目の侍が千秋実氏であります。

  葬儀に参列する千秋氏の姿をテレビで見るたびに、映画の中で志村喬と加東大介をはじめとする侍たちが土饅頭(まんじゅう)の前で「惜しい男を早くも亡くしたものかな」と悼んでいるシーンを思い浮かべます。

  現実世界では逆転して、千秋実氏が六人の侍と一人の巨匠を野辺送りしたわけです。