金守監督 勝つ為の戦略

私事ではあるが、このたび、FC伊勢志摩のプレーヤーとして現役復帰することを決意した。これは金守監督の意向を受けての決断であるが、以下の理由に基づいている。

われわれFC伊勢志摩の今年の最大目標は、アマチュアの全国リーグ(JFL)への昇格である。JFLへの昇格には、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(全国地域SCL)に出場し、勝ち抜かなければならない。その全国地域SCLへの出場権を獲得するためには、全国社会人サッカー選手権大会(通称全社)で3位以上の成績を残すことが必要となる。

全社は、地域リーグで優勝を逃したチームの「昇格へのラストチャンス」、あるいは都道府県リーグからの「JFL飛び級昇格」を目指す戦いとなり、日本サッカー界で最も過酷な登竜門として知られている。昨年度全社に出場した経験からすると、全社を勝ち抜くには選手一人一人のレベルアップが不可欠であり急務であることは明白である。私の現役復帰はそのための一つの戦略という位置づけだ。

金守監督から私への要請は、チームにプレー指針の明瞭性と統一感をもたらすという趣旨に基づく。具体的には、①実際のプレーの中で各選手に指示を出し刺激を与えつつ、考えながらプレーすることを促すこと、②チーム全体に秩序をもたらし、一定のバランスを整えること、③不測の事態に備えること、である。これらの要請が生じた背景には、けが人の増加と、フィールド上においてリーダーシップを発揮できる選手の不在という問題がある。特にチームが苦しい時に、さまざまな方法を駆使して状況を改善へと導ける粘り強く勝負強いプレーヤーの存在は必須であるが、今のところそのような水準に達しているプレーヤー不足に課題を感じていた。刻々と変化するゲームの状況下で、常に冷静に戦況を把握し、その時々でチーム全体としてなすべきことを伝え徹底させることが、今後の勝敗に大きく関係するとわれわれスタッフ陣は判断している。

私が加わる事でのリスクも考えた。20代の若い選手たちが40代も半ばの私に遠慮して萎縮するのではないか?結論として、この点については心配ないと考えている。彼らはわれわれスタッフ陣に似てそこまで気が回る性質の者ではないとみている。もっとも、守備面については慎重に進めなければならない。現在の私の身体では、若い選手たちにわれわれが求めるレベルのプレーを示し理解させることが難しいからである。それは現代のサッカー界では、育成年代において守備面に関して強く意識させることや、そもそも時間を割いて取り組むことが少ない傾向にあるため、理想とする守備方法について一定の基準すら備わっていないことが大きな要因であると考えている。私の経験からすると、プロ・アマ問わずチーム全体に統一感をもたらすことは非常に難しい課題である。

やるからには全力で取り組む所存である。たとえ私が大きなケガをするようなリスクがあったとしても、それ以上に大きなプラス要因を各選手が受け取ってくれると確信している。私が与えられるプラス要因とは何か。それは、今までよりもより近い距離から勝利への執念を体現し勝利への道しるべを示すこと、サポーターの皆さまの応援支援に応えるために個人の責任を高いレベルで自覚させること、この二つだと考えている。求める結果を勝ち取るための一つの挑戦であるが、私自身、今しかできないこの挑戦を楽しみたいと考えている。

そして、日頃から温かい言葉をかけていただいている個人サポーターの皆さま、法人各社様には、これからも変わらぬご支援を賜わりますよう、よろしくお願いを申し上げます。われわれは未成熟で未完成な組織団体ではありますが、志だけは高く、地域の皆さまにとって心の拠り所となりつつあることを実感しております。さらに多くの方々に応援されるサッカークラブを目指し日々精進を重ねています。ぜひ、われわれと一体となって、中南勢地域における新たな価値作りの推進にご協力をいただけたら幸いです。

中田一三
中田一三

なかたいちぞう 1973年4月生まれ。伊賀市出身。四日市中央工業高時代に、全国高校サッカー選手権大会に3年連続出場。92年1月の大会では同校初優勝をもたらし、優秀選手に選ばれた。中西永輔、小倉隆史両氏と並び「四中工の三羽烏」と称された。プロサッカー選手として通算194試合に出場。現在三重県国体成年男子サッカー監督。