挫折を克服できた4つの理由

高校進学直後に初めての挫折(腰の手術)を経験した私は、衰えた自分の身体と向き合えず、もんもんとした日々を過ごしていた。同級生達は、手術明けの私を気遣い元気付けようと明るく話しかけてくれた。しかし、彼らの明るく元気な姿を目にすると、余計に自分の身体の衰えを感じさせられた。また、厳しい練習を乗り越えて得られた共通の達成感を自分は得られなかったと、悔しく寂しい思いをした。

一度は学校もサッカーも辞めたいと考えた私ではあるが、辞める勇気はなかった。自分が置かれている状況は非常につらいが、亡き父の言葉や母親の支え、家族の期待などを考えると、とても辞めることはできない。そのような中、あらためて自分がここに来た理由を思い返していた。「四中工で全国制覇を成し遂げる!」
同級生たちの明るさに励まされる形で、私は彼等になんとか追いつこうと試行錯誤を重ねた。一つ覚えている自分なりの工夫がある。全体練習後にトップチーム入りを果たしていた同級生を呼び寄せて、自主練で対人練習の相手をしてもらうという特訓をすることだ。その狙いは、彼等を通じてトップチームのプレーの強度を体感することだった。初めはスピードに全く付いていけなかったことを覚えている。

手術以前は同級生のスピードに付いていけないということを経験したことがなかった私だったが、全く彼らのスピードについていけない。悔しさを押し殺しながら、長期間にわたり何度も何度もこの特訓を繰り返した。なぜ悔しい思いをしながらもこの特訓を続けていたのか。それは自分自身に自信を持っていたからだと思う。幼い頃からの経験で、ひたすら挑戦と失敗を繰り返せば自分なら必ず追い付き追い越せると確信していたのだ。幼少期に植えつけられたチャレンジ精神がここで活きていたように思える。

手術後しばらく自分なりにもがいた私は、その年の冬の全国大会初戦のスターティングメンバーに抜擢された。その頃には、完全ではないが自身が置かれた困難な状況を克服しつつあったように記憶している。なぜ私は困難な状況を克服することができたのか。それは、①支えてくれる家族への思い、②励ましてくれる仲間の存在、③自分ならば乗り越えられるという自信だった。

約30年が経った現在、困難な状況を完全に克服できた4つ目の重要な理由を理解することになった。指導者となった今だから理解できること、それは私たち1年生に対する監督の大きな期待感だ。当時の四中工監督で恩師の城雄士(じょう ゆうじ/76歳)監督は、全国大会初戦に使ってもらえるようなコンディションとメンタルを満たしていない状態であったにもかかわらず、私ののびしろを見越して大舞台でプレーさせる機会を与えてくれたのだ。しかし、監督の期待に勝利という形で応えることはできず、私は初めてサッカーで悔し涙を流した。

腰の手術による初めての挫折は、サッカーで涙を流した経験によって完全に吹っ切れ、同時に曖昧だった全国制覇は明確な目標へと変わっていた。

中田一三
中田一三

なかたいちぞう 1973年4月生まれ。伊賀市出身。四日市中央工業高時代に、全国高校サッカー選手権大会に3年連続出場。92年1月の大会では同校初優勝をもたらし、優秀選手に選ばれた。中西永輔、小倉隆史両氏と並び「四中工の三羽烏」と称された。プロサッカー選手として通算194試合に出場。現在三重県国体成年男子サッカー監督。