防災への思い強く 旭日小綬章 元大紀町長・谷口友見氏(82)

【地方自治功労を受章した谷口さん=大紀町錦の自宅で】

旧紀勢町(現大紀町)錦で生まれ、巡航船を使って隣町の県立長島高校に通学した。卒業後は志摩市和具の建設会社で勤務し、結婚を機に帰郷。父親が経営していた建設会社で役員を務め、株式会社化を進めるなど経営にも携わった。

昭和19年12月7日に発生した東南海地震では、津波により錦地区の住民64人が犠牲となった。5歳だった当時、祖母、母と3人で高台へと避難し、町が流される惨状を目の当たりにした。この経験が防災への思いを強くした。

昭和61年に旧紀勢町長に初当選。通算4期15年の任期中、全国に先駆けて緊急避難塔「錦タワー」の整備に力を注いだほか、周辺町村との紀勢地区広域消防組合設立に尽力するなど危機管理に徹底した。

旧大宮町、大内山村との合併で新大紀町が誕生した平成17年の町長選では旧大宮町長の柏木廣文氏に敗れて落選。柏木氏の勇退を受け再出馬した4年後の町長選で再選を果たした。

平成24年、2カ所目の緊急避難塔である「第二錦タワー」を建設。その後も避難時間を確保するための防潮堤整備の必要性を主張し続けた。また子育て世代の支援として「エンゼル手当」を拡充したほか、地域ブランド向上の一環として、松阪牛を肥育する七保地区の畜産農家への経済支援策など、四期の長きにわたって辣腕(らつわん)を振るった。

平成23年から令和2年までは県町村会長に就任。地方の実情を訴えるため国や県の予算編成に働き掛け続けた。

常に「人の命は何よりも大事。子どもは町の宝、お年寄りは町の誇り」を心掛けてきたという。「大紀町の皆さんのおかげです。県や市、町村会の方々もありがとうございます」。

<略歴>長島高校卒業後、建設会社役員を経て昭和61年、旧紀勢町長に初当選し4期務めた。町村合併後、平成21年に大紀町長に当選し、4期を最後に引退を表明した。