─大切な思い出、心込めて─ 遺品・生前整理「ひきうけ隊」代表 流下広樹さん

【「新たな分野への進出も視野に頑張っていきたい」と話す流下さん=四日市市垂坂町で】

「大切な思い出の品々を、心を込めて片付けさせていただきます」というスローガンのもと、平成24年に三重県四日市市垂坂町で「ひきうけ隊」を開業した。北勢地域を中心に遺品・生前整理、家財整理、特殊清掃などを手がけ、業績を伸ばしている。

従業員は妻法子さん(46)と長男峻さん(24)、次男達稀さん(22)、スタッフ2人の6人。お客様から相談を受け、要望を把握してから現地の下見をする。必要な作業の見積もり額を提示し、契約が成立したら作業に取りかかる。要・不要品を丁寧に仕分け・分別をして、隣近所に迷惑がかからないよう配慮しながら搬出し処分場まで運ぶ。

1人暮らしの60代女性から生前整理を依頼され、使わられていない部屋を数回に分けて片付けた。不要になっていた家具などを運び出し、仏壇は寺の住職に出張供養でお精抜きの儀式を行った後、解体した。「任せて良かった。これで家族の手を煩わせずに済みそう」と安心した様子だった。

単身赴任で1人暮らしの男性が病欠中に亡くなり、3週間後に同僚が発見した。県外から駆けつけた母親から部屋の清掃依頼があった。夏場とあってきつい臭気が残っており、母親は泣き崩れて室内に入ることができなかった。生前息子さんがどんな暮らしをしていたのか、せめて写真でもと母親の承諾を得て室内を撮影して見せた。しばらくして、母親から「優しい心遣いがありがたかった」と感謝の手紙が届いた。

貴重品や重要書類の捜索、遠隔地の親族への形見分け品の配送、車両の買取りや廃車手続きなども引き受けている。また、不要になった茶道具や焼物、掛軸などの骨董品類は専属の査定士を伴い、その場で鑑定して買い取るなど、整理に付随するさまざまな案件は、専門家とのネットワークを密にしてワンストップで対応している。

四日市で2人きょうだいの長男として生まれた。幼少時から活発で目立ちたがり屋で、小学校の担任から家庭訪問で、「良いことも悪いことも中心にいるのは必ず広樹君」と言われるほど、いつも先頭になってクラスメートを引っ張っていく存在だった。

中学時代はパンクロックの「ザ・モッズ」に夢中になり、仲間と4人で倉庫を借りて練習に励んだ。文化祭での発表が許され、全校生の拍手と歓声に包まれた時は感動で涙があふれ、プロを目指そうと思った。

進学した私立高校を中途退学し、昼間は働き、夜は定時制高校に通いながら、プロを目指して仲間と練習を重ねた。4年後、NHKの全日本勝ち抜きロック選手権「BSヤングバトル」に出場したが県内3位に終わりプロになる夢はあきらめた。「友と音楽に打ち込んだ6年余は青春そのものだった」と振り返る。

卒業後は、自分で事業を始めようと試行錯誤を重ね、25歳で携帯電話会社の代理店を始めた。月間販売コンテストで常に上位の売り上げ実績を上げ、5年後には県内トップクラスの代理店になった。その後、代理店システムが直営に移行し始めたのを機に、次の仕事を模索し始めた。

当時、アナログ放送終了に伴って地デジ対応テレビに買い換える人が急増しており、不要になったテレビを海外に輸出して再利用できれば商売になるのではと考えた。輸出業者を探し、不要になった家電製品を回収した。

3年たったころ、身内に不幸があり遺品整理の大変さを実感した。それをきっかけに、助けを必要としている人が多いのではないかと思い、遺品整理業を思い立った。起業に必要な行政などの許認可を受け、「ひきうけ隊」を創業した。チラシの配布やネットで宣伝したり、葬儀社の終活イベントに参加して遺品整理相談コーナーを設けたりしてPRし、3年ほどで仕事を軌道に乗せた。行政などからの委託業務も多くなった。

「妻と息子皆がやりがいを感じながら、同じ仕事に携われることが何よりうれしい。家族はかけがえのない宝」と話し、「これまでの経験から学んだことを大切に、社会のニーズをいち早くキャッチして新たな分野への進出も視野に頑張っていきたい」と意欲を語った。

略歴:昭和45年生まれ。平成4年四日市北高校卒業。同7年携帯電話会社代理店開業。同24年「ひきうけ隊」開業。同26年一般社団法人遺品整理士認定協会の認定取得。