―安心で快適な住宅を 職人として常に現場に― 新築・リフォーム・設計施工「つむぎ乃家(旧野呂工務店)」代表 野呂貴弘さん

【「事業拡大より、職人として常に現場に関わっていたい」と話す野呂さん=四日市市山城町で】

三重県四日市市山城町の「つむぎ乃家(のいえ)」は、祖父が営んでいた製材業の下請け大工として働いていた父実さん(85)が昭和35年に独立起業した「野呂工務店」が前身。北勢地区を中心に元請けとして、無垢(むく)材を使った新築、増改築工事に携わってきた。平成18年、会長に退いた父から経営を引き継ぎ、設計・施工からアフターサービスまでをワンストップで手掛けるようになった。

「お客様に寄り添い、安心で快適に暮らせる住宅を提供する」ことをモットーに、ベテラン職人らと共に基礎工事から屋根、水道、左官、塗装、外構まで建築工事一式を請け負っている。また、家1棟のリノベーションやキッチンなどの部分的改修、古民家の再生にも匠(たくみ)の技を駆使している。

30代夫婦の「昭和っぽく、味のある家を」という要望に、木の粉を練り込んだ壁材や杉材の目透かし張り天井などの伝統技法とともに、ライフスタイルに合わせた機能性も兼ね備えた和モダンな2階建て住宅を提案した。完成から3年ほどたって再度訪問すると「木のぬくもりと香りで味わいがぐっと増した。野呂さんを選んで大正解だった」と新居での生活を満喫している様子に安堵(あんど)した。

30年ほど前に父が手掛けた家の娘さん夫婦から、台所と和室をつないでLDKにとリフォームの依頼があった。「対面キッチンは使い勝手が最高。部屋が明るくなって毎日が楽しい」と満面の笑顔で話す夫婦に、職人らと喜びを分かち合った。

四日市で3人きょうだいの長男として生まれた。幼い頃から「お前は大工になって家業を継ぐんやぞ」と言い聞かされ、父の仕事現場について行っては、端材で遊んだり屋根に登って大工のまね事をしたりするのが好きだった。小学校の卒業文集には「大工になっていろんな家を建てたい」と将来の夢を書いた。

津市の高田高校卒業後は、名古屋市の東海工業専門学校に進んだ。建築科で2年、同研究科で1年学んで2級建築士資格を取得した。「実家だと甘えが出る。しばらくよそで学んでこい」という父の言葉に従い、菰野町の建築会社「舘建築」で4年間、親方や先輩職人の仕事を手伝いながら技術を覚える修行を重ねた。

家業に戻り、父の段取りに従ってベテラン職人らと現場で働くようになった。「職人の仕事は一生勉強し続けること」と教えてくれた大先輩の言葉を胸に、休日も返上して無我夢中で仕事をこなした。段取りや見積もり作成などを、父から少しずつ任せられるようになり、36歳で代表を引き継いだ。完成した住宅の引き渡し時に、満足した施主の笑顔を見ることが何よりの励みになっている。

両親と妻、子ども3人の7人家族。両親は地域ボランティアの活動に励み、妻は経理事務をして仕事を支えてくれている。映画鑑賞が趣味だが、コロナ禍でここ2年ほどは有料配信で楽しんでいる。「元気な両親と妻、学校であったことを我先にと話す子どもたち、全員で囲む食卓は毎日にぎやか。子どもたちには将来、自分の好きな道に進んでもらいたい」と話す。

松阪市で開かれている「みえ木造塾」に5年ほど前から通い始めた。設計士や林業家、庭師らを講師に迎えて、木の住まい造りの最先端理論と実践方法を学んでいる。異業種の塾生たちとの交流も深まり、仕事上のつながりも生まれている。

今後は施主の方々の趣味にも寄り添って、音響にこだわったオーディオルームやホームシアター、サーフィンや釣り道具のディスプレー収納、また、テレワークスペースなどとともに、住み心地の良さも追求したオーダーメードの家造りを続けていきたいという。「事業拡大より、職人として常に現場に関わっていたい」と熱く語った。

略歴
昭和45年生まれ。平成3年東海工業専門学校建築研究科修了。同年2級建築士資格取得。同年「舘建築」入社。同7年「野呂工務店」入社。同18年「野呂工務店」代表就任。平成14年四日市市耐震診断員登録。令和3年「つむぎ乃家」に社名変更。