<まる見えリポート>鳥羽の江戸川乱歩館 焼失免れた資料で復旧へ

【資料整理の過程で見つかった岩田準一のイラストや落款=鳥羽市の歴史文化ガイドセンターで】

三重県鳥羽市鳥羽2丁目で昨年10月に発生した火災で焼失した「江戸川乱歩館 鳥羽みなとまち文学館」。展示品の多くは焼失したが、研究者や地元ボランティアを中心に、被害を免れた資料を元とした復旧への動きが活発化している。同時に乱歩と交流のあった画家で風俗研究家の岩田準一(1900―1945年)への注目も集まっている。

【岩田準一(親族提供)】

同館は国内を代表する推理作家として知られる乱歩が作家としてデビューする前に交流のあった岩田の生家を改装し、乱歩との交流や岩田に関する資料を集めた記念館として鳥羽商工会議所が平成14年に開館。母屋を改装した文学館と書斎、土蔵を改装した「幻影城」と「鳥羽文学ギャラリー乱歩館」の4棟で構成し、乱歩のほか、歌人の与謝野鉄幹や民俗学者の南方熊楠といった文化人との交流を示す書簡や絵画、書籍や生活用品などの資料を展示し、ピークの22年には6397人が来館した。

昨年10月24日深夜に発生した火災では、このうち文学館と書斎の2棟が全焼。未整理の資料も多数あったことから正確な被害は判明していないが、少なくとも2棟に展示されていた岩田の著作や研究書籍、当時の生活用品を再現した展示品などが焼失した。

ギャラリーも放水による被害を受けたが、幸いベレー帽など乱歩の愛用品や著名人との交流を示す書簡を展示していたガラスケースは被害を免れ、焼け落ちた文学館の2階からはスケッチ帳など未発表の資料が入った金庫も発見された。

同館を巡っては、岩田の親族らの依頼を受けて令和2年12月から、金城学院大文学部の小松史生子教授(49)や白百合女子大言語・文学研究センターの森永香代研究員(47)ら研究者を中心に、未整理の資料を含めたデジタルアーカイブ化の作業が進められていた。

火災発生後、同館で案内人を務めていたガイドボランティアが集うガイドボランティアセンター(鳥羽1丁目)を拠点に、研究員やガイドボランティアによって焼損を免れた資料の整理や復旧作業が続いている。

同館を管理運営する鳥羽商工会議所は昨年12月、外部有識者を交えた会議を開き、残る2棟を活用して施設を再整備する方針を固めた。内装デザインは旧施設にも携わった丹青研究所(東京都)に依頼し、夏ごろをめどに具体的な方向性を示すとしている。清水清嗣専務理事は「民間経済団体として出来る限りのことをしたい。当時の資料を生かして大正期の鳥羽を再現できたら」と話している。

施設復旧に対する動きと共に、岩田の人物像に対する注目も集まっている。岩田は「辰巳京太郎」の雅号で幼少期から絵画に親しみ、後に竹久夢二に師事。当時タブー視されていた男色研究でも知られ、「本朝男色好」などの著作も残した。

現在、親族や東京都内の出版社を中心に岩田の残した日記の書籍化が進められているという。金城学院大の小松教授は「鳥羽の地を中心に人脈も広く日本の近代を語るうえで重要な人物」と話す。長年岩田の研究を続ける森永研究員も「当時は受け入れられなかった同性愛についても、時代の変化で受け入れ方が変わってきているのでは」と語る。

資料の清掃や仕分け作業の中心を担う市文化財専門員の野村史隆さん(73)は、岩田準一の実兄で詩人・伊良子清白とつながりのあった地方紙記者の宮瀬規矩(きく)(1896―1928年)を長年研究してきた。

整理品の中からは、自身や当時周辺にあった遊郭の関係者をモデルにしたとみられる絵画、岩田の雅号の落款なども見つかった。

過去には宮瀬を研究するうえで重要な旧遊郭の取り壊しを防ぐことができなかった苦い思い出があるという野村さん。「人が関わってきた痕跡が文化財。鳥羽の文化をもっと盛り上げるためにも、一つでも多く文化財を残せるよう、行政にも本腰で取り組んでもらいたい」と話していた。