「1年を振り返って」東京オリ・パラ 山田、向田選手が「金」 三重県内22選手、県民に感動

【山田優選手と向田真優選手】

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で史上初の一年延期の末、今夏に開催された東京五輪・パラリンピック。開催には賛否両論あったが、県内からは両大会に22選手が出場し、各会場で熱戦を繰り広げ、県民に多くの感動と勇気を与えてくれた。

五輪は7月23日に開幕した。県内からは、リオ五輪を7人上回る、過去最多の19人が五輪に出場。鳥羽市出身の山田優選手(27)=自衛隊=がフェンシング男子エペ団体で、四日市市出身の志土地(旧姓・向田)真優選手(24)=ジェイテクト=がレスリング女子53キロ級でそれぞれ金メダルに輝いた。

フェンシングで個人と団体に出場した山田選手は、個人戦ベスト8で敗退したときには、「こんな気持ちで終わりたくない」と涙を流していたが、気持ちを切り替えて臨んだ5日後の団体戦で、日本史上初の金メダルを獲得し、笑顔で喜ぶ姿が印象的だった。向田選手は、決勝で劣勢からの逆転で目標の金メダルをつかみ取った。最後まで諦めない気持ちと、果敢に攻める姿勢が大勢の人の目に焼き付いたはずだ。

一方、思うような結果が出せなかった選手もいた。リオ五輪柔道男子銀メダリストの原沢久喜選手(29)=百五銀行=は柔道団体で銀メダルを獲得したものの、個人では5位に終わった。原沢選手は、大会後の取材に「悔しい気持ちはあるが、今回はメダルを取る巡り合わせではなかったのかな」と振り返った。「現役は続けるので、一年一年、できることをやっていく。(パリ五輪は)目指せる立場にいるのであれば考えたい」と話した。

7人制男子ラクビーに出場した本村直樹選手(29)=三重ホンダヒート=は「けががあったので、五輪を1年延期してなければベストの状態で試合ができたか疑問。ただチームとしては準備は限られていた。難しい1年間だった」と振り返った。

東京五輪では、県関係の出場選手が過去最多となり、8位までの入賞者も過去最多となった。この結果は、今秋開かれる予定だった三重とこわか国体・とこわか大会(全国障害者スポーツ大会)に向け県が選手の強化に取り組んできたことも大きい。

県競技力向上対策課によると、平成25年に県競技力向上対策本部を設置し、ジュニアクラブの支援や練習環境の整備など県内のスポーツ選手の育成に取り組んできた。

また、国体強化に向け、2つの事業も展開。1つは「スポーツ指導員配置事業」で、平成26年に始まった。選手はスポーツ協会のスポーツ指導員として県内選手の指導をしながら、競技の練習にも打ち込む。この事業の1人目として採用された村上和基選手(32)は水泳・男子飛び込みで東京五輪に出場した。同事業は単年契約で、令和3年度は63人の選手を採用している。

もう1つは、平成27年から始まった、アスリートに県内就職先を紹介する「トップアスリート就職支援事業」。27年度から令和2年度までで延べ189人が県内の88企業に就職している。原則終身雇用で、移住定住にもつながる取り組みだ。この事業を通して百五銀行に所属した原沢選手とセーリングの南里研二選手(29)は東京五輪に出場した。

同課の担当者は「国体が中止となった中でこれまでと同じペースで選手を採用することは難しいが、2つの事業は続けていく」と話した。